日本語でものを考えるというとき、ただ何か新しいことをどんどん考えつづけているというだけでなく、同じことのまわりをぐるぐる回って「これはどう言ったらいいかな」と転がしたり「これはうまい言い方だなあ」と内心で自慢したり(ぷぷぷ)という時間がけっこう大きい。ということにコトここに及んでようやく気づいた。これに対して何かを英語で書くというときには、それについて英語で考える(表現する)のはほぼ初めての場合が多い。ほとんど場合そうだと言ってよい。ネイティブとの決定的な落差がここにあると言わねばならない。ノン・ネイティブであるという出自を真摯に受け入れるべし。
そういう時代に置かれたその国にそれは必要だったというのなら、こういう時代に置かれているあの国にあれは必要であるとでも言うのか。
それがあったということと、それが必要だったということの間には随分な距離があるような気がするが、アレか、起きていることはすべて正しい、の応用編と考えてよろしいか。
ここでは「飼い馴らす」という語句がいいように使われている@教育改革国民会議。…すげーメンツだな(ちょっと古いと思う)。着々と引導を渡されつつある日本…。
ある人がある用語を使ったとき、受け手はその用語から、その人にはそういう用語を普段づかいとするようなバックグラウンドがあると判断する(だから「言葉だけ知ってても中身を知らなきゃ意味がない」という言い方も可能になる)。英語だとここがイカン。自分の表現をよりネイティブなものに直してもらうのはありがたいんだが、その表現を改めて辞書やネットで調べて「こりゃワシ使う世界におらんよなー」と思うような例文が並んでいたりすると、あえて自分が最初にやった稚拙な表現に執着したくなる。このへんのマタサキはけっこう微妙…。
頼んだことできてないし!と思ったときには、何をどうしてほしいと頼んだのかトレースしてみることも大事。頼んだことができているような頼み方をしていたか、とか。
その任にある者はどんなことを職務としてやる(できる)べきかがはっきりして初めて、その者はその任にふさわしい(ふさわしかった)かどうかを評価できる、ということが忘れられてはならない。
…募集中だそうです。…いつの間にか取扱い停止になっている。
今日のAQI。
今日・明日のエアロゾル@九州大学。
地には平和を。
科研費ロゴ@JSPS。
台風なう スウェーデンの天気なう。