山上3℃、粉雪というより粒雪。今日のはぱらぱらしてて地面に落ちてもぺちゃっとしない。つづけば積もりそうだが明るい雲なので、どうかな。
 あれはちょっと表現がぴったりじゃなかった。怪獣をやっつけてもらうとか、怪人をやっつけてもらうとか、犯人を追い詰めてとっちめてもらうとか、でもってそれをまるで自分がやってるかのような勘違いの世界に生きていた児童期から思春期前期。
 発電のための原子力もまっとうにコントロールできないのに軍隊が欲しいなど片腹痛いわ!とよそのおじさんに一喝されてしゅんとなるうちのお父さん。自尊心と劣等感を超高速で振幅する不安定な子どもに刃物は持たせられんでしょう。ハタ迷惑この上なし。…70年ほど前には12歳と言われたそうだが、今は何歳くらいと思われているんだろうか。
…伊丹だと思っていたら神戸やった。不覚すぎ。 
 なるほどー。BTフィールドという言葉は初めて知った。アタマのいい人はいろいろ思いつきますなあ。
…そう言っておきながら実は件の「週刊朝日」の記事は読んでいないのだが、あの場で話題になったことのひとつに、彼は、記事が彼の出自をあれこれ書きたてたことには怒ったが、彼の出自と彼のパーソナリティを結びつけて書いたことには怒らなかった(DNAとか血脈とかの語句が使われていたらしい)、そこがガマンならない、という点がある。「差別記事」をテーマとする集まりで(仮に何か組織としてパブリックなものではなかったにせよ)こういう発言が出るというのは(失礼ながら)新鮮であった(ナニサマ! あはははは)。
 いっとき街の映画館で本編前の予告編と一緒に「わたし自身を見て下さい」という若者の就職活動に関わるキャンペーンフィルムが流されていたことがある。記憶が曖昧だが、たぶん1980年代あたりのことじゃないかと思うが、しかし「なんでこういうことをわざわざキャンペーンせないかんのだろうか」と感じた記憶もあるような気がするので、出自による差別にまだ無頓着だった高校生あたり1970年代末のことかも知れない(それを見たのが名古屋の映画館だったか京都の映画館だったか記憶が曖昧)。だとすると、「その人を知るにはその人のバックグラウンドを知ることも大事」という常識のなかにいた当時の藤吉くんとしてはフィルムの意図するところを捕まえ損ねていたとも言えるのだが、そういうことも思い出しつつ久しぶりに、「その人について理解すること」と「その人をバックグラウンド込みで理解すること」との関係はよくよく考えみようという意欲湧き中。…せっかくなのでちょっと蓋をしておいて、しばらくおでんグツグツしてみることにする。
 たとえば「寺の子だからいい子に決まっている」が偏見であるのと同様「寺の子だからボンクラに決まっている」もまた偏見であるということが、あらためて想起されてよい。「寺の子」であることには生育のプロセスでなんらかの共通性を見ることもできるだろう。が、その共通性がどれほど普遍的であるか、またその特徴がどれほど生育に影響力を持つものであるかが同時に検討されなければならない。「寺の子」というのはカテゴリーとして一定の有効性を持つかも知れないが、そのカテゴリーに一色の色づけをしてよしとするのは単なるレッテル貼りの偏見に近い(自戒です。スイマセン)。
 そういうと、外国からの留学生を集めた学生寮についてのおもしろい話をネットか雑誌か、あるいはその他の何かでむかーし読み、同じ国同士で相部屋にしたら大丈夫かというとそうでもなく、むしろ学生の出身階層で部屋割りをする方がトラブルが少なくて有効というようなことが書いてありへへえと感心した覚えがある。その学校は英語での講義がベースなので言語の壁はそれほど問題ではなく、留学前のライフスタイルの違いの方が重要だといった内容だった。同じ国からでも、頑張って奨学金を取ってやってくる階層上昇途上の学生と、すでに上層階層におり親の資金で留学に来ている学生とでは生活リズムの合わないことが多く、出身国が同じぶんかえって問題がこじれやすいと。なんだかいろいろだなあですませてしまったが、あれ、どこで読んだのか、スクラップしておけばよかった。…スクラップしてどこかに置いてあるのを忘れているだけかも知れない。むー。
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