山上マイナス4℃、きーん。久しぶりに青空をバックにした本館校舎。

 今日もまた午後からの会議に向けて机仕事がしがし。
 採用時には研究職としての資質を中心に審査され、着任後は教育職としての義務を云々されるというのは一瞬ヘンな気もするが、研究職としての活動を安定して維持できるようにするためにも一定レベルの教育コンテンツを提供せんければならんというのはファカルティの自己保存という目的にかなったやり方ではある。まあ、そのへんのバランスはむずかしい(合意可能な整理をするのがめんどくさい)ものではあるけれども。
…そうですか。ポートモレスビーに行かれたことがあるですか。奇遇でしたなあ。
 地には平和を。
 ありゃー、飛びつかれたら美人姉妹どころの話じゃなくなるでしょうなあ。個人の不徳のというよりも組織ぐるみの…それはそれとして、キレイドコロっっ!
 やっぱり、腰をちょっとうしろに引きぎみにして少々がにまたでする方が排尿がなめらか。このトシでこんなことに気づくとは、今まで50年(−α)馴染んできた姿勢は一体なんだったのか。田んぼのあぜ道で遠くに飛ばしっこしてたクセのついたのがイカンかったのか。…そういうと、初めて立位で排尿したのはいつどこでだったんだろう。今となってはもう思い出せない。
 今日は目がしばしばしている。きっと心因性
 本学サイトにも案内をアップしました。どうぞご来場を(おもに近在向けアナウンス)。
 2月15日(金)まで募集中です。よろしくお願いいたします。
 あわせてこちらも。同じく2月15日(金)しめきりです。よろしくお願いいたします。
 ほら、水晶の夜がもうそこまで。あの人たちはゴミ(と自分たちが認定したもの)には容赦ないですから。美しくない(と自分たちが認定した)ものを掃除する自分たちのあまりの美しさに震える人たち。
…どこかに諸悪の根源があるというより全般に半分がたイカれていると見るのがよいのかも。

 その14
 以上は基本的に卒業論文30枚の作成をターゲットとして段階的に作文能力を高めていくためのプログラムの考察である。しかし、書く能力の涵養が「書かせる作業」だけで足りるわけがないというのは自明であり、書くための内容(何について書くか)が同時に問題にされなければならない。次節以降でこの課題について検討する。
 書くためのトレーニングを本学で考えるにあたって重要なことをここでつけ加えなければならない。それは、このトレーニングが密教学科の学生として卒業論文を作成するという目的につながっていなければならないという点である。そのためには単に文章作成の練習をするだけでなく、密教の基本的な知識もまた、「新聞の易しめの記事を、難しい漢字は飛ばしながら何とか読める程度の力」しか持たない学生をスタートラインとして養成していくことが、めざされなければならない。「本学に学ぶ者であればこのくらい知っていて当然」という従来の常識を捨ててかかることが必要である。というよりも、日本古典(古文、漢文)も、日本史や世界史、あるいは倫理なども入試科目として課していない現状においては、本学への入学時点で学生が知識として持っているのは、「空海・お大師さま」「ブッダ・おしゃかさま」という単語程度にすぎないと割り切るくらいの方が無難である*5。
 
*5 無論これは極端な言い方で、最初はそれを前提としてプログラムを組み、何年かかけてフィードバックを積んで「それほど無知でもない」とわかってきたら、少しずつ1回生科目の内容を高度化していくとよい。しかし、ひとまず現時点ではこのように考えておく方が本学の実情に即していると見ていいだろう。高野山高校宗教科から入学してくる学生についてはやや異なるかもしれないが、それを新入生一般に広げることは得策ではない。