アメリカで先に起きた銃乱射大量殺傷事件を受け、銃規制をめぐって開催されている米議会上院委員会にて。2年前に銃撃テロを受け奇跡的といわれる(高度治療のおかげもあると思うが)回復を果たした上院議員(当時)によるスピーチ(@BBC。音が出ます)。スピーチがゆっくりで聴きとりやすいのは、子どもじみた銃マニア(この表現は子ども蔑視か)に嚙んで含めるように話そうとしているからではなく、銃撃を脳に受けた後遺症によるもの。むー。…彼女のいう Be courageous. とは何を意味するか。武器を捨てることが勇ましくあることなのだということを言おうとしているのだと勝手に解釈しておきたい。...March, march, be courageous...
 2月15日(金)まで募集中です。よろしくお願いいたします。
 あわせてこちらも。同じく2月15日(金)しめきりです。よろしくお願いいたします。
 おー、きたきた。高度成長のころにつくられた社会インフラはぼちぼち順番に還暦を迎えつつある。しりぬぐいのための手がかりさえ残していないとは、つくづく旅の恥はかき捨てなモーレツ時代を送ったのであろう。幸福なことだ。
 で、高度成長を満喫した経験をばらまきはしても、公害事件に難儀した経験は封印したそのツケが、こういうふうにまわってきてると個人的には思いたい。すべてはつながっておるですなあ。だって地球は丸いんだもん!
 日がなパソコンをかたかたしているだけだから何か仕上げても郵便局へ行くわけでなしコピー屋さんに行くわけでなしコンビニにファックスしに行くわけでなし、いわんや喫茶店などで打ち合わせするわけでなし、ひと段落ついた感がちっともない。…でも進んでるぞ、と。
 お泊まり愛を禁じて保たれるイメージに一体どれほどの意味があるのか。…あるのか…。
 所詮ゲームなんだよ、ゲーム。と笑ってすませられる話ではないと思うが、こういう一生懸命競争もあるとでも見たらいいのか。

 その2
 本学の新入生の大半が「新聞の易しめの記事を、難しい漢字は飛ばしながら何とか読める程度の力」であるということを前提に、その3年後には原稿用紙30枚分の卒業論文を仕上げるというハードルを越えられる力を養成するためのプログラムは本学で構築されているだろうか。個々の教員の努力はともかく、現状では体系的なものとしては構築されていないと言わざるをえない。これがなければ本学のディプロマポリシー はいつまでたっても画餅のままである。
 読むということさえ上記のような程度なのだとしたら、書くということについてはなおさら心許ないと考えなければならない。しかし、学力面で心許ない学生が多いのと同じくらい、言われたことは(出来はともかく)やろうとする生真面目な学生が多いのも本学の特徴である。適切な体系的(積み上げを意識した)指導が組まれれば、少なくとも「それなりに論文の体裁を整えたもの」をつくるところまではもっていけるのではないかと期待される。