透明性の確保は、こうやって押したり引いたりしながら進んでいくのかも(全文読むには読者登録=無料=が必要です)。
 結婚差別と戦うことは、結婚制度と戦うこととどの程度つながるか。結婚制度と戦うことは、家制度と戦うこととどの程度つながるか。家制度と戦うことは、祖先崇拝と戦うこととどの程度つながるか。祖先崇拝と戦うことは、自分の死後の墓がほしいという願望と戦うことにつながるか。…どの語句も、ホントはちゃんと定義しながら進まないといかん。
 古雑誌読みも着々追いつき中。こちらもほとんどページをめくるだけに近い。…だったら買うのやめればとも思う「週刊プレイボーイ」だが、追いついたらやめるかもしれない。で、2011年の春先まで追いついてきた。この数冊(数週)地震関係の記事もたくさん。それはあとでまとめてということにして、「緊急告白 収監直前の堀江貴文から日本の若者たちへのメッセージ」(2011.5.23号)が部分的になかなか染みる。2段落だけ引用。

 学生時代に、自分が悪いことをしたと思っていなくても、先生に怒られて廊下に立たされる。それは本来であれば大問題なのだが、悲しいかな、世の中の真理とはそういうものなのだ。
 そして、それに対して「不公平だ」などと訴えても、その現実を解消することはできない。なぜなら、廊下に立たせるのは先生の決めることだから。

 オマエは黙って立っとけ。オマエは黙って殴られとけ。オマエは黙って捕まっとけ。オマエは黙ってそれやっとけ。オマエは黙ってクビになっとけ。…先に死んでくヤツらにそんなコトばっかり言われてたらイヤにもなるでしょうなあ。
 あははははは。そのへんがパッとしないのはわたくしのせいではありません。
 組織として送り出した学生が諸方面に受け入れられ、かつ一定の評価(毎日毎年めざましくなくてもよい)を得るような活躍をしてくれれば、というかそういう送り出し方ができていれば、それでおのずと大学の評価も定まり、結果として安定した研究環境の確保も可能となるだろう。そうすれば、個々の教員がピンで有名になり、それによって人寄せをするなどという「名物教授だのみ」に陥らなくてもすむ。ファカルティとしてめざすならそっちの方向だと思える。…教育活動に追われなくてすむように教育活動をきちんとやるというのと、カネカネと言わずにすむようにある程度のお金を持っておくというのは、結構近いところにあるのかもしれない。
 フランスの国会、すべての人々(とはいえ一定の条件はあろうが)に結婚する権利を認める法律を賛成329、反対229で可決@franceinfo。
 本学サイトにも案内をアップしました。どうぞご来場を(おもに近在向けアナウンス)。
 2月15日(金)まで募集中です。よろしくお願いいたします。
 あわせてこちらも。同じく2月15日(金)しめきりです。よろしくお願いいたします。
 もー、紙いっぱい使っちゃって…。
 バカにされたって堂々としとけばいいのだ。バカであることは恥ずかしくない。恥ずかしいのはバカであることに気づかずに堂々としていたり、バカであることを気にしておどおどしていたりすることだ。
 まあもちろん、「温情をかけてもらえる程度には恭順の意を示すことができる」というのが評価の対象になる場面もありましょう。多いか、そっちの方が…。

 その15
 したがって、入学時点で「空海・お大師さま」「ブッダ・おしゃかさま」という単語を知っている程度に過ぎない学生を前提に、1回生科目から3回生科目までかけて、4回生の卒業論文作成につながるような知識の積み上げを図っていく必要がある。
 入学時点での状況を上記のように前提した場合、1回生向け科目に求められるのは次の2点であろう。

…日本文化の基盤にある(あった)宗教的教養を、歴史および現代と関連させながら身につけるというプログラムなら、なかなかに魅力的かもしれない。