山上11℃、風ひんやりやや強めのくもり。寒の戻りというほどではないのでまあよし。
 午後には宿題のお披露目第一次、ドキドキ。それまで粛々とがしがし。
 以下にいう「商業の精神」がどのように「法の精神」と結びついているかを考えるのはわりと(藤吉的に)大事な気がする。「敵とは何か」をこねこねしてみよう。

 イギリス人のマグナ・カルタは、戦争の場合、外国商人の商品は、報復措置によるのでなければ、これを差押えたり、没収したりすることを禁じている。イギリス国民がこれをその自由に関する条項の一つとしたことは素晴らしいことだ。
 イスパニアは、1740年のイギリス人との戦争の際、イスパニア領諸国にイギリス商品を輸入する者は死刑に処する旨の法律を作った。イスパニアはイギリス領諸国にイスパニアの商品を運ぶものに対しても同じ刑罰を科した。このような法令は、私の信ずるところでは、その模範を日本の法律の中にしか見出すことができない。この法令はわれわれの習俗、商業の精神、そして刑の軽重における調和と衝突する。この法令は警察上の規則違反にすぎないものを国家犯罪とすることによって、あらゆる観念を混同している。(モンテスキュー=野田ほか訳=『法の精神』(中)岩波文庫、p. 214)

 しばらく海外におられた年若い友人が部屋を訪ねて下さる(妙齢の女性ですが人妻です。くくく)。で、シアトル帰りのお土産をいただいた。スタバのカップとBunny Ears のキットカット。普通のキットカットは細長くぱかっと割れるがこれは根本の部分がウサギの顔になっていて割ると痛々しい。でもおいしくいただく。夏にご出産とのこと、ひとさまのことながら子ができるというのはなんだか楽しい。無事のお出ましを祈りたい。

…ウィンドウズのアップデートをして再起動をかけたらまたホットメールがつながらなくなった(「サーバが見つかりませんでした」表示)。むるるー。…もっぺん再起動したらつながった。 
 で、また古雑誌読み中。金時鐘先生が書いてらした。

 私は十七歳のとき、いうところの「解放」に出会いました。当時は数え年の時代で、あくまでも年齢相応の十七歳でありました。その「解放」に出会ったとはいうものの、実際はこれがお前の国だという国の「朝鮮」に、いきおい押し返された私でした。なにしろ私は植民地統治という言葉すら知らなかったばかりか、「内鮮一体」と言われていた大日本帝国への帰属を、近代開化から取り残されている自分の国、朝鮮が開明されることだとむしろ自負めいたものを持ちつづけていました。それだけに「解放」はまったくもって信じがたい異変でした。(「図書」201106、p. 14)

 ページの隅に「回想記 ひたすら つづらおり 一」とあるから連載されたものがもう本になっているかも知れない(そのうちわかる)。戦後、朝鮮を取り戻した朝鮮人がいた一方、朝鮮からはじき出された朝鮮人もいたということを覚えておくことは大事なように思う(「最後の授業」のフランツ少年と比較してもいいかもしれない)。日本が連合国に無条件降伏してから間もなく70年。とっくの昔のことだが、その「とっくの昔」をなお生き続けている人は少なくないだろう。そういうことが世界のあちこちで起きているだろうことを考えると気が遠くなる。Your grandfather killed my grandfather!
 多分どこの国でも異文化を生きる者の「民族教育」への寛容さは議論になるところだと思うが、もしかしたら「海外のどこにいても受験勉強はおろそかにしない」ことを10代の子どもたちに保障している日本は、素晴らしく洗練された民族教育を、すでにして達成してしまっているのかも知れない。…あ。でもこれは戻ってくることが前提であるか。
 こっ…これは、単なる画像処理ではないのであるかっ。
 ただのトコロテンではだめ。意欲があっても熟練がなければだめ。意欲を持つ者に熟練を課すしくみが必要。…意欲を持たない者は、意欲を持たなくても無事で過ごせるようこのくらいのことは考えないとだめ。
募集中だそうです。
 今日のAQI
 今日・明日のエアロゾル九州大学
 地には平和を。