南海なんば駅から急行で10分ほど高野山方面に行くと堺東という駅があって、そこからさらに10分ほど乗ると北野田という駅がある。北野田駅で降りて1分もないところに北野田フェスティバルという施設があって、たまたま新聞(毎日)の広告に気づき、そこで今日はジュディ・オングさんの版画作品展。たしか高校生のころ「なんで台湾の人が日本語でギリシャの歌を歌わんとイカンのだ」というワケのわからない疑問を(たぶん日本のいろんな歌謡曲の途中で英語フレーズの入るのが気持ち悪かったという前史があって)持たすような方であったが、むー、こういうことをなさっていたとは。すこぶる眼福。絵はがきもいろいろ買い込んでしまった(同じのを2枚ずつ。1枚は送る用で1枚はコレクション)。ここに来たのは今回で3回目(前の2回は北斎山下清)、どれも見応えたっぷり、よほどよいキュレーターさんがおられるのか。神戸や京都まで出れば他にもいろいろあるんだと思うが、わさわさした人混みに見舞われることなくゆっくり見られるのは地の利によるところが大きいと言うべし。で、見終わったら堺東まで足を伸ばして(比喩です)駅そばのコメダで遅めのお昼(今日はシロノワールはパス)。帰りがけには細いキレイな三日月が見えた。よい気分転換の1日であった(ぎちぎち見たので目はくたびれたが)。
 
…「出自を云々して人に不利益や精神的苦痛をもたらすことに対して今回は強く抗議なさったわけですが、以前に子どもたちが教育を受ける権利の保障を、その子の国籍によって制限するようなことをなさったことと今回のことは矛盾しているというお考えはありませんでしょうか」「それは全然違います。そもそも日本に住んでいるんだから普通に日本の学校に行けばいいわけですよ。あえてよその国の学校に通っているのは彼ら自身の選択なわけですから、ここで出自云々を言うことは筋違いです。あくまでそういう学校に通う彼ら自身の選択を問題にしているわけです。もちろん問題にしているのは子どもたちの方ではなく子どもたちの通う学校の姿勢の方ですけども」「彼ら自身の選択と言いましても、まだ未成年ですよね。自分の希望というより保護者の意向も反映していると考えれば、すべてを当人の選択と考えることには無理があるとは言えませんでしょうか」「問題はそこですよ。そうやって親やそのまた親のせいにしながら今の自分を変えようとしない。それだからいつまでも問題は解決しないんです。そうやって親のせい先祖のせいにするのをまわりが甘やかして見過ごすからいけないんです」「甘やかして…ですか」「そうです。甘やかしです。日本にいるのも日本の学校に通わないのもどっちも、日本で自分を生んだ親のせいにしようとしている。そうだとしても、自分たちの故郷は日本じゃない、日本の学校では自分の故郷のことを学べない、そう思うからこその学校選択なんじゃないですか。それを親のせいにしてどうこうなんていうのは認められません」「自分の生まれた国と、自分の親や祖父母の生まれた国が違うという場合、子どもとしては親や祖父母が生まれ育った国について知りたいと思うものではないでしょうか。たしかにその意味では当人の選択とも言えます。しかしその問題と、一般の学校が受けられる公的支援をその学校だけが受けられないという問題とは次元が違うことのように思えます。学校の姿勢が問題とおっしゃいましたが、その結果として不利益をこうむるのはその学校で学ぶ子どもたちなわけですよね。もちろん先生たちにも不利益は及ぶと思いますが、この問題では子どもたちも連帯責任ということでしょうか」「責任といえば責任でしょうね。ただし、いわゆる法的な意味での責任とは違います。社会には現実として、自分の責任でもないのに理不尽な扱いを受けることがある。とばっちりも飛んできます。これが現実です。そこでくじけていたら問題はいつまでも解決しないし社会はいつまでたってもよくなりません。闘って見返してやらない限り現実は変わりません。彼らも僕と闘って、僕を見返してくれたらいいんです」「え、…それはちょっと話が…」「違いません。僕も闘ってきました。まだ闘っている途中です。別に権力や暴力だけが闘いじゃありません。そういう闘いのなかで人間は生きていかざるを得ない。自分でがんばるしかないんです。現実は闘いに満ちているのに今の教育はそれを正面から子どもたちに教えません。きっとそういうことを教えない方が得な人たちがいるんでしょう。でも、もうそういう時代に幕を引く時がきたんです」「…すいません、ちょっと勉強し直してからまた来ます」…脳内でわさわさしていたものを文字にしてみた。作業の途中、受験生のころ現代文のテキストで読んだ「アカシアの大連」(という読んだ当初は随筆だと思っていた小説の多分一節)を思い出したが、それとこれとでは人物の置かれている位置が違う。
 たとえば地球上に日本人差別というものがあったら、それはなくさないといけないだろう。で、日本人差別をなくすことと日本人をなくすこととは別のことだろう。…なんてノー天気なことを書いてられること自体、藤吉が日本でぬくぬくしている日本人(で、まがりなりに定職持ちのおっさん)に過ぎないことを示しているだけかもしれない。
 


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 台風なう