ヘコむ夜あればふくらむ朝あり。
 長々と電車を乗り継ぎいそいそと京都へ。学内の人権研究会からの派遣で懸案だった企画展京都府文化博物館の見学に。
 少し早めに宿入りしフロントでおまけを受け取る。いつもお世話になっているじゃらんで予約したら建仁寺さん拝観券&朱印帳(表紙は風神・雷神)のおまけつき。こういう機会でもないと神社仏閣めぐりをしないとて、まずは徒歩にて風神さん、雷神さんを拝みに。途中うっかりベラボーな人出の南座の前を通ってしまい顔がむっとするが程なく抜けていい感じに人が三々五々な建仁寺に到着。人もそれほど多くなく、しばしまじまじと眺めることができたのはラッキーであった。眼福。せっかくなので建物内を一巡。障子にはさりげなく五七の桐。

 いい気分で約束の時間に間に合わすべく京都府文化博物館までへこへこ。上空が無風なのか流れずに残っている飛行機雲。いい天気であんまり寒くなく徘徊日和。

 お忙しいなか初学者である藤吉のために時間をつくってくださったヒストリアン氏と夕方にロビーで合流し、さっそくチケットを買って展示室へ。出ていると聞いてはいたが、さすがに後醍醐天皇から明治天皇まで、25通も天皇綸旨が並んでいると圧巻。すでに20年ほど前、昭和天皇大喪の礼の前後「遊園地のある八瀬から棺を担ぐ特別な人たちが出るらしいで」みたいな話を小耳にはさみ、ちょうど網野善彦『日本中世の非農業民と天皇』を(紹介されている書き下されていない漢字ばかりの資料を呻吟しながら進んで)読み終えた直後でもあり、さすが、陛下の棺を担ぐというそれだけで部落がひとつできるものなのかなどと早のみこみの感想を持ったりしたのだが、普段の宮中でも輿丁(よちょう=駕籠かつぎ)として仕えていた人々であったようだ。
 もともとは比叡山に仕える人々の村として始まったらしいということは今回の見学で初めて知った(いい年したおっさんも「童子」と呼ばれるのはこれが身分あるいは役目としての呼称だということによるというのは、たしか橋本治『ひらがな日本美術史』にも説明されていた)。見学につきそってくださったヒストリアン氏によると部落といってもさまざまな系統があり、八瀬の場合は「供御人」と呼ばれるグループに属するのではないかと教わる。貴族あれば賤族ありという言葉を初めて聞いた学生の頃にはなかなかうまいことを言うものだという感覚だったが、今回の見学であらためてその一端を垣間見た。もっとも、供御人と呼ばれた人々の末裔がすべて賤視されるようになったかというとそうでもないようだ。複雑。いじめの対象が恣意的に流動する今の(一部の)学校みたいという気がしないでもない。
 加えて、賤視は賤視する側が勝手にするだけの話であって(と言いつつ賤視に差別はつきもの)、八瀬の人々がこうした自らの来歴を誇りに感じておられることは銘記されるべき。博物館でも美術館でも、企画展の入り口あたりには主催者あいさつ、関係者あいさつの大きなボードが掲げられ、それはしばしば儀礼的にかしこまったものであることが多いが、主催者あいさつのボードに並んで掲示されていた社団法人八瀬童子会会長氏の「八瀬童子会ごあいさつ」は、こういう企画がようやっと実現してうれしくてたまらんという感じの、なんだかしゃべりながらこにこしてるおっちゃんのお顔がボードからせり出してきそうな、こっちにまでにこにこが伝染ってきそうなものであった。…差別にはいろいろな相があるが、これなんかはごく一般の人々の「あいつらだけいい思いしやがって」的な(日本的平等主義)感情に根ざす典型ではないかとも思えた。
 歴史資料には(当然のことながら)その時点時点の差別を反映した記述や画像が登場する。それらを現在の時点で展示の素材とする場合、あるいは出版物の素材とする場合には多面的な配慮が必要とされ、ヒストリアン氏によれば、もうほとんどケースバイケースと言っていいらしい。ルーツさがしという事実調査が身元調査というバイアスを受けないではおかない日本の現状についてあれこれのお話を伺う。…いっそ、差別のふるさと日本とでも名のっちゃったらいいんじゃないかと思えてくる。ヘイトスピーチのさきわう国、とか。
 ただでさえ見てまわるのが遅いのに丁寧な解説までしていただいて見終えた頃には閉館時間ぎりぎり。いい機会なのでもう少しレクチャーをいただくべく一緒に晩ご飯をということになり東山二条、一時よくお世話になった あのボケ へ。
 けっきょく話は人事制度全般の見直しが必要という八瀬とは無関係の方向にいってしまったが、それは天下りイカンとかそういうことではなく、昇進しないのはダメ人間という愚な圧力をどう緩和していくかというあたりに落ち着かせたいというようなもの。そういう話をしているうちにもお客さんが何組かあり、あれまあお久しぶりというような何人かにもお会いすることができた。先方がよく覚えててくれてこちらに記憶がないのは恐縮至極。面目ないことだがしょうがないじじいだとご勘弁いただくことにする。
 コーヒーしながらだらだら話すのもよろしいが、お酒しながらげたげた笑うのもよろしい。酔っぱらって夜風に当たりながら歩いて帰れるところに寝る場所があるのも大変によろしい。京都はよろしいねえ。実に濃いい一日であった。
 サンフランシスコは同性愛者差別を逆手にとるかたちでゲイタウンとして自らを「聖地」化することに一定程度成功している。だけでなく、そこをある意味で「観光地」化し人を呼び込むことにも成功していると見ていいと思うが、これはつまり同性愛差別はなくしていくべきだが、同性愛をなくしていくという話にはならないということを示している。同じように部落差別の「聖地」として「観光」化できるような土地はあるだろうか。闘いに楽しみを埋め込み、なおかつそれを「見せ物」にすることには、今の日本だと相当な力業がいるのではないかと、この方面に造詣の浅い藤吉には感じられる。が、このへんが闘いを娯楽にしてしまう文化をもつ人々ならではの強みなのかも、とも思える。