山上2℃、雪から変わった雨。しょぼしょぼびしゃびしゃ。と、午前中に書こうとしたが昼過ぎから再び雪に変わる。ちょっとは積もるかな。気温は相変わらず2℃のまま。
 久しぶりの出勤でメールボックスを開いたら途中でメールとりこみが停まってしまった。復旧に手間取るが、以前のように受信箱の新着メールが全部消し飛んでしまうということがなかったのでよかった。ひと安心。
 先日のメールの続報。色平哲郎医師ご自身がこの問題について書いておられます。日経メディカルブログいうのがあって、そこに週一で執筆されているようです。無料で登録できるようなので、老人介護、地域医療などに興味をお持ちの方はどうぞご登録を。→こちら 
…ついでに、色平さんの教えて下さったコミック『ヘルプマン!』、とりあえずお勧めの第8巻だけ買って読みましたが、なかなか。冒頭、登場人物がこれを読んでいるシーンがあって、もう1人の登場人物に「おまえ 昼メシ時に よくそんなもの 読むなあ  それ けっこう グロイ介護の 漫画だろ?」と言わせちゃってる。いいなあ、こういう自己言及は。
 以下、日経メディカル・ブログ、20080128色平哲郎氏の記事(の転載)です。
■■転載ここから

ドミノ式の救急崩壊が佐久にも……  色平哲郎
 私は農協職員である。
 勤務先のJA長野厚生連佐久総合病院(夏川周介院長)は、六十数年にわたって長野県の東信地域で「最後の砦」を任じてきた。
 「農民とともに」をスローガンに農村医学、地域医療を切り拓いた 若月俊一名誉院長の志を継ぎ、「来た患者は断らない」を実践してきた。ドクターヘリの救急ヘリポートをもつ救命救急センター、世界トップクラスの診断治療水準を有する消化器内視鏡チームもいる。
 約200人の医師のうち、本院地域医療部の総合診療科で研修する 80人ほどの研修医たちが救急医療の大きな戦力として日夜奮闘している。
 ところが、昨年末から今年にかけて、急患が押し寄せ、院内が限界状況に達しつつある。
 周辺の医療機関が機能不全に陥り、各科勤務医が不足したりして入院や手術を引き受けられず、「最後の砦」の佐久病院に次から次へと急患が運び込まれるからだ。
 例えば、上田市の公的病院は、複数麻酔医の体制が崩れ、夜間なりの緊急手術がままならなくなった。
 近隣からも夜間救急は佐久病院に転送される。医療破綻による圧力が、ドミノ式に拡がり、「最後の砦」をも突き崩しかねない勢いなのだ。
 ちなみに1月18日朝の時点で入院患者は634人。国が定めた一般病床624床をオーバーし、「法令違反」の状態である。
 救命救急センターの重症患者用ベッド20床のうち、空きは2つだけ。ヘリによる長野県全域からの受け入れを考えれば、最低、5つは空けておきたいところなのだが……。
 ベッドが足りないので、経過観察が求められる患者も処置後に帰宅させざるを得ないケースが次々と出てくる。綱渡りである。
 佐久地方、特にその南部の地域医療は、佐久病院本院とその傘下の2つの分院、へき地に位置する診療所が二重、三重にカバーしあう体制で守られてきた。
 診療所の訪問診療が機能してきたのも、家族や近隣どうし「お互いさま」で患者を見守る習慣がかろうじて残っていること、そして、いざとなれば本院に運べるという「安心感」が支えになってきたからなのだ。
 しかし、その「最後の砦」が医師不足の大波で崩されかねない状況になった。先日、夏川院長は県内メディアを呼んで緊急会見を開き、「現場は限界。もはや佐久も救急難民と無縁ではないことを住民にも知っていただきたい」とコメントした。
 JA長野厚生連は、既に救命救急や高度医療に特化した「基幹医療センター」を建設するための用地約4万坪を佐久市役所近くに確保している。だが、市側はその用地が「工業専用地域」であることなどから、基幹医療センター建設を含む佐久病院の再構築計画に難色を示す。
 JAが三十数年前に提起した「農村医科大学」構想、そして川上武氏による「メディコポリス」構想らをふまえ、佐久病院、いや東信地域の医療のあり方を、より多くの「住民とともに」考え、決断しなければならない段階に至ったようだ。

■■転載ここまで