長々と電車を乗り継いで和歌山市和歌山大学松下会館へ。コンソーシアム和歌山の実施するわかやま学講座に提案された企画の審査会へ担当者として参加。応募が結構あったらしく、ヒアリング会場がふたつになり、うち一方のまとめ役を仰せつかってしまいあわてるが、すぐさまあわててもしょーがないモードが起動してつつがなく終了。…しかし、この鼻声なんとかならんかな。
 藤原聖子『教科書の中の宗教』『世界の教科書で読む〈宗教〉』読了。業務上の必要があって読んだのだが、おもしろいなあ。藤吉の勤務先は宗教系の大学であり、そこで学んで中学校や高校の「宗教科」(藤吉自身は公立の子だったので受けたことがない)の先生になろうとする学生さんもいる(あとは「国語科」とか)。そういう人たちに読んでもらってディスカッションできたらおもしろかろう、と思わせてくれるものであった。…「○○について中学(高校)生用の教科書(というか副読本)をつくってみよう」なんて課題にのってくれる諸君がそこそこいたら楽しそうだ。○○について説明する際、まず相手の中学(高校)生がどういった、そしてどの程度の知識を持っていることを前提に説明を始めたらいいか。いきなり深い話を持ってきても理解してもらえないわけで、それを知るには小学(中学)校の学習指導要領などを参考に関連領域の学習内容を精査しないといかん。これは、いま学校教育が準拠しているカリキュラムの勉強にもなるだろう。加えて、学校の授業の中のひとつのコーナーとして設計するとしたら、それに延々と時間を費やすわけにはいかず、たとえば45分2コマなら2コマで完了するような内容にしないといかん。これは、限られた時間の中で子どもらに知っておいてほしい、理解しておいてほしい、また(余裕があれば)考えてほしいことは何かを確定し、整理し、的確に伝えるための工夫をする練習になるだろう。…あれこれ考えるとおもしろそうだが、藤吉の業務上の必要は別のところにあるのでこのへんで妄想を禁欲しておく。