長々と電車(とバス)を乗り継いで大阪府立中央図書館へ。関西アメリカンセンター主催の講演会「大統領図書館の歴史と役割」を聴きに。
 バスを降りると巨大に高い東大阪市役所の隣にこれまた巨大な図書館。フレームに入りきらずマヌケな画像になってしまった。

 吹田にあった国際児童文学館は、今ここにある。吹田時代を知らないので、見る影もなくなどということは言えない。

 終わってみればなかなか興味ぶかい内容だった。最初の大統領図書館であるフランクリン・D・ルーズヴェルト図書館が1939年にできる以前、退任した大統領の文書類は当の大統領ご本人が自宅に持ち帰っていたりしたそうだ。大統領とはいえ政府の一機関であり、そこで作られる文書は公的なものといってもいいはずだが、そこはそれ、君主制の国からやってきた人々がつくった国の大統領であるから、君主の文書(いわば宮廷文書)が私文書であるのと同様、大統領の文書も私文書と捉える見方があったそうだ。とか、公邸に残しておくと新たに大統領になった政敵によって悪用されるなどの不安もあったという。なかなかおもしろい観測。
 同じ大英帝国由来の新国家でありながら、アメリカとオーストラリアではやっぱり文書管理のスタイルなどが異なり、それにはこうした思想的背景もあるのかも知れない。早くに新国家建設を宣言した独立心旺盛な人々と、ながらく帝国の一員(Commonwealth)としてとどまった人々と。オーストラリアの公文書管理が建国の初期から比較的整っていたというのは、ひとつにはもともと現地の状況を本国のイギリスに報告しなければならないという事情があったのではないかということが推測され、その後に対象(いわゆるステークホルダー)が本国の君主から現地の人々に代わったとはいえ「報告のために記録を残す」という習慣が維持され、つまりは事後の公開を前提とする記録の作成・整理・保存が身についていたと言えるのに対し、大統領というのはある種の専制君主であり、その活動が生み出した文書や記録群も「大統領のものは大統領へ」というような見方がされていたのかも知れない。
 なお大統領図書館は上記のように大統領の業務文書を多く保管し、任期中の出来事にまつわるさまざまなモノ資料も保管し、いわばMuseum、Library、Archivesの複合施設とも言える。講師のファセットさんは講演開始早々に図書館というよりもアーカイブズといっていいと発言され、実際にスタッフの4分の3はアーキビストミュージアム担当者はほとんど展示に関わるのみだとか。早々に疑問(のひとつ)氷塊…もとい…氷解。
 講演後もいくつかお尋ねすることができ、得るところの多い企画だった。
 せっかくなのでトピックをひとつご紹介。トルーマン図書館には第二次大戦時の日本への原爆投下に関する展示がある。たしか数年前のスミソニアンだったか、原爆投下に否定的な展示をしようとして退役軍人団体などの猛反対を受けたというようなことがあった(と記憶する)。これはちょっと方向性が違っていて、当初トルーマン図書館では「原爆によって戦争の早期終結が可能となり、米兵の損失を防いだ」という趣旨の展示がされていたが、今では次のようなキャプションが展示に付されているそうだ。

 It is certainly the case that we Americans have been badly served by our leaders in connection with the promulgation of various Hiroshima myths--that we were systematically misled about many of the basic facts. Furthermore, an entire generation of soldiers, sailors, airmen, and marines (and through them, their families and friends) were taught that their lives were saved by the atomic bomb; their understandable relief based on this false information has added to the strength of the myth.

 当の大統領図書館でこれをやっちゃうってのはスゴイね。だけでなく、議論のあるトピックについては複数意見を提示するようになってきているとのこと。おもしろいと思ったのは、Americansはleadersにserveされるという表現。文法的にはもっともだが、日本語でこの発想は出てこないだろう。権力者は「お上」である以上にserviceする存在であるという認識は、教科書的理解(単なる公式見解)でしかないかも知れないが、これはこれなりに天晴と思う。