藤吉についていえば、鎌田慧『自動車絶望工場』(講談社文庫)を読んだアタマで堀江邦夫『原発ジプシー』(講談社文庫=絶版)を読んだりしたので、まあ、連中ならやりかねんなあ、これでずっとやってくんだろうなあ、程度のところで思考が止まっている(「連中」が何を指すかについては、まだちょっと確定したくない)。で、そういうアタマでこういうのを読めば、ああやっぱりね、としかならないわけだ。…説明責任と簡単にいうけれど、説明を受けて立つということは、それに費やされる膨大な時間を覚悟するということで、やっぱり何でも、適当なところで適当に納得して「じゃ、信じてるからね」ですませておきたいという気持ちはぬぐいがたい。
 経済活動というと、冷静に損得を計算して支出の効果を最大にして、みたいな合理的側面に目がいきがちだが(え? 藤吉だけ?)、こういうのを目にすると安心する。人間のやってることだもんね、経済だって。確かな信頼で動く時もあれば、はったりかましでまわる時だってあるだろう。