あらためて、現時点の日本で業務文書の電子化を進めることの危険性をまとめておく(とりあえず藤吉案)。
 文書電子化のシステムは、多くのばあい行政の委託を受けて民間業者(ベンダー)が構築する。そして多くのばあい委託した行政にとってベンダーの構築したシステムはブラックボックス状態である。つまり、その仕組みが十分に把握されないままに行政はそのシステムを自らの業務プロセスに導入せざるを得ない(剣呑な表現をすればベンダーの言いなりにシステムを導入せざるを得ない)。このことに起因して、行政は自ら確保すべきアカウンタビリティを、ふたつの側面で危機にさらさざるを得ない。
(1)文書の真正性に関わるアカウンタビリティ:そのシステムによってアウトプットされた電子文書が正真正銘の本物である(証拠物たり得る属性を有する)ことを行政が保証できるのは何故か――なぜならベンダーがそれを保証しているからです、と言わざるを得ない。
(2)経費積算に関するアカウンタビリティ:電子システムにはメンテナンス、バージョンアップがつきものであり、それにかかる費用がいくらになるか、その積算根拠を行政が保証できるのは何故か――なぜならベンダーがそういう見積もりを出してきているからです、と言わざるをえない。しかも、出された見積もりが高額だからといってホイホイ他のベンダーのつくるシステムに乗り換えられるかと言えば、そうはいかない。もとのシステムに蓄積されているデータ(業務関係のデータ、住民登録、税務、福祉関係等に関わる個人データ)を新しいシステムに移行するための移行費用についても、もはや行政は「言い値」で委託するしかない、という状況に陥りがちである。しかも多くの場合、システムの著作権はベンダーに帰属しており、それを買い取って行政の側でカスタマイズするなどほとんど非現実的と言わざるをえない。…これを狙って、かつて1円入札が行なわれたのか!と思ってもたぶん勘ぐりすぎではない。
 このふたつの面において行政は、自らの果たすべきアカウンタビリティの根拠を、民間ベンダーという外部に求めざるを得ず、この点でアカウンタビリティは危機にさらされざるを得ない。
 まとめ:システムについて十分に把握しないままで文書の電子化を進めると、(1)電子文書の真正性を保証するという面で、(2)システムのメンテナンス・バージョンアップにかかる費用積算の透明性を確保するという面で、このふたつの面で行政はみずからに課されたアカウンタビリティを確保することが困難である。これが「流行だからといって、そんなに慌てて文書の電子化なんか進めると危ないよ」ということのポイントである。
 以上、木下敏之『日本を二流IT国家にしないための14カ条 佐賀市「電子自治体」改革1年の取り組みから』日経BP企画、2006年)を読んだ感想を、茨城で関係者に転がしてもらって落ち着いた、今の時点でのアイデア。タイトルはちょいと恥ずかしいが、この本、なかなか刺激的で面白いです。
 茨城大会の画像を、追っかけで数枚アップしました。下の方で。