昨日の復習。デュランティ先生のお話は電子環境を前提としてアーカイブズに求められる機能、アーキビストに求められる役割に関する原則論。包括的な報告はいずれ京都大学大学文書館もしくは学習院大学大学院人文科学研究科アーカイブズ学専攻の出している機関誌などに載せられるだろうから、ひとまず藤吉の関心に触れたトピックにのみ触れておきたい。
 デジタルレコードは次の3種類に分けて考える必要がある。(1)コンピュータに保存された記録 Computer Stored Records=いろんなソフトを使って人がつくったもの。ワープロ文書とか画像とか。(2)コンピュータによって生成された記録 Computer Generated Records=コンピュータが所定のプログラムに従って自動的に作成する記録。サーバへのログイン記録やATMの記録など。(3)コンピュータに保存され、かつコンピュータが生成するもの Computer Stored & Generated=(1)と(2)が組み合わさったもの。例えばスプレッドシートに人力で入力された数値とそれをもとに所定の関数によって生成された数値が同時に表示されているようなもの。
…乱暴に言って、たとえばワープロソフトを使って文書を作成した場合、作成者の打ち込んだ文字列(通常は文章)が(1)にあたり、そのワープロ文書を保存した際にワープロソフト(やOS)に仕込まれたプログラムによって自動的に生成・保存される作成日時の記録などが(2)にあたると見てよさそう。で、アーカイブズにおけるふたつの“C”すなわち内容 contents と文脈 context に沿って考えると、前者を知るのに必要なのが主には(1)で、後者を知るのに必要なのが主には(2)であると考えられそうだ。
…とすると、以前ご紹介した、コンピュータのレジストリファイルは説明責任を果たすために残しておくべき「公文書」であるか、という問(教えていただいたのはこちらで)に対する答は、そうである、としないといけない。その内容の記録が、いつ、どこで、パソコン(やネットワーク上の文書ファイル)へのどのレベルのアクセス権を持った人物によってつくられたか、そこまで確証できてようやく電子文書の真正性は保証されるのであるということだ。ただし、これはあくまで業務が電子ベースで進められている場合に限られ、たとえば文科省の業務においてコンピュータ(+プリンタ)が簡易印刷機(清書機)以上の役割を果たしてはおらず、公文書であることの証明はプリントアウトされた文書への下はヒラから上は部長、局長、大臣に到るまでの捺印、押印(や花押…使ってないかな)によってなされているのなら、レジストリファイルの公文書性は薄まる、とも考えられる。めんどくさいですなあ。講演のあとでデュランティ先生に「アーキビストってのは、どのくらいITの専門知識を持ってないとイカンものなんですか」とお尋ねしたところ、いやいやー、こりゃまいった、As much as they need.やって。そんな言われ方したらみんな大層ヘコむでありましょうなあ。
 今回のご講演はざっくり、1998年からスタートして2012年まで三期にわたって続けられた InterPARES Project およびそこで得られた成果の紹介と言っていいものだったと思うが、その多くはプロジェクト独自のサイトで公開されている。言ってみれば「みんなちゃんと読んでねー」キャンペーンの一環としての講演会ではあった、と。→こちら …足かけ15年にわたるこのプロジェクトに主導的に関わる日本人関係者は(研究者を含め)いなかったようだが、今回新たにカナダ政府からグラントが認められた9年間だかの国際プロジェクト(講演日の早朝=日本時間=に採択通知の電子メールが届いたそうな。Congratulations!)には日本からも参加者があるようだ。先を楽しみにしたい。
 で、このインターパレス・プロジェクトだが、アーキビストだけが参加しているわけではなく、現場(企業や政府機関)で実際に業務記録の作成に携わっている(要は普通に仕事している)人びとが3割、コンピュータ・サイエンスやコンピュータ・エンジニアリングやIT(藤吉には区別がつかない)の研究者・技術者が3割、で、アーキビストが3割という構成だそうな。加えて、デュランティ先生の言でおもしろかったのは、こういう集まりで私が話す時は大半が女性で男性はごくわずかというのが普通だけれども、今日は割合が正反対ですねとのこと。いい悪いは別にして女性の担う専門職としてのアーキビストというのが彼の地では定着しているのかも知れない。が、たとえば(ぶっとびますが)日本の商社なんかはきっと外回りはバリバリの男性社員、後方で帳票つけなど書類作成・整理の支援業務を行なっているのは堅実な女性社員といった性別役割分業はできていてもよさそうなもんだ。が…そういう女性社員は業務を継承するほど長居はしないのかな。商社なんかどうせ男社会だろうしな(勝手な偏見です、ふた昔以上前の、かも)。
 全体として非常にキレイに整理された原則論であり、実現可能性には言及しないとして、諸課題の相互連関を見渡すには極めて示唆的なご講演であった。事前資料では英文スライドとその日本語訳を並べたものが配布され、講演は基本的にその流れで進められたがデュランティ先生のお話は途中アドリブも多く、にもかかわらず通訳担当のK氏(天理大学)による当意即妙の対応のおかげで聞き心地よい講演会となった。これもまた大感謝。…で、空気を入れてもらったら明日からまたがしがし。
 そういえばもうひとつ。会場で資料のひとつとして配布された「京都大学大学文書館だより」(第22号)には、池田浩士京都大学名誉教授の「大学闘争が残したものはビラだけ?」というなかなか感動的なご寄稿が載せられていた。これまためっけもの。サマになる繰り言を繰り出せるじじいをめざすべし。うぷぷ。
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