忙中有歓、卒業生さんとお連れさんの3名で恒例の(なのか)浪速クラブへ。お昼前に待ち合わせの新今宮駅はコンコースをはさんで南海とJRの改札が向かい合っている。その南海側改札からJR側改札を眺めつつ待機。

 ぶじ合流してへこへこ通天閣の足許へ。電車の途中晴れ間も見えたが街はくもりがち。今日も大入り。どの劇団もそれぞれに味のある部分が異なり、全部制覇したいとかヘンな欲望が湧いてくる。プログラムは午後0時から3時まで全3部構成。途中の小休止で外へ出て一服。ホントに目の前にある通天閣。今日は週末で観光客らしき人々多し。…それにしても、このへんも多いですなあ、電線。

 予定時間を少し越えて終演。出口で座長以下役者衆がお見送りして下さる。握手もしていただき、帰りの電車の中で白粉の残り香くんくん。
 あはははは。こいつぁいいや。
 ぎりぎりの滑り込みを放置することがなぜいけないのか。「時間かけたって大したことない」を「時間なかったから大したことない」でごまかそうという意欲芬々だからである。力足らずを時間足らずにすりかえようという態度が問題とされねばならない。問題は、デキの悪いこと、ではなく、デキの悪さを放置して恬淡として動じない態度、である、と。デキの悪さを指摘することが、デキの悪さを改善しようという行動を促さず、デキの悪さを粉飾しようという行動に追い込むのだとしたら、指摘のあり方が今度は問われなければならない。バカじゃないのと言ってりゃ仕事になるってワケじゃないんですなあ。
…とは言い条、キミはそのままでいい、と、キミはバカなままでいい、を適切に切り分けるのはなかなか難しい。かなり非人間的な試みかも知れない。 
…自分のことを棚に上げると表現が激烈になる。無私の鞭とでもいうべきか。むー。