12月1日は世界エイズデー、だそうな。それに合わせて昨秋お邪魔したGLBT Historical Museumからこんなご案内が届いた。

World AIDS Day Brings Third Anniversary of Website Commemorating Bay Area Losses
 
 San Francisco -- Launched by the World Health Organization in 1988, World AIDS Day is held annually on December 1. This year, the date coincides with the third anniversary of a unique website commemorating losses to the disease in Northern California.
 The site offers an online database of every obituary from the Bay Area Reporter, a weekly newspaper for the gay, lesbian, bisexual and transgender community. Cosponsored by the BAR and the GLBT Historical Society, the site includes 10,344 notices published from 1979 to the present.
 "The majority of the obituaries -- and especially those from the early 1980s to the mid-1990s -- reflect the devastation of AIDS in San Francisco," says Tom Burtch, a volunteer at the GLBT Historical Society who conceived the project. "Nearly 20,000 people in our city alone have died of the disease. As one of the first places where AIDS was recognized, we feel a special responsibility to ensure that the toll taken by the epidemic is never forgotten. This website gives us a way to honor those we have lost."
 Each listing on the site includes a scan of the full obituary from the BAR and offers a guestbook where visitors can contribute their memories and sentiments. The site receives an average of 3,000 visits a month, and guestbook comments have been submitted from across the United States and from Canada, England, The Netherlands and Sweden.
 The listings are updated regularly to include new obituaries published by the newspaper. The obituaries database of the GLBT Historical Society and the Bay Area Reporter is free of charge.
 Visit http://obit.glbthistory.org

今度の世界エイズデーベイエリアでの犠牲者を追悼するウェブサイトは3周年
 
 サンフランシスコ -- WHOによって1988年に始まった世界エイズデーは毎年12月1日となっている。今年この日は北カリフォルニアでこの病の犠牲となった人々を追悼する唯一のウェブサイトの開設3周年の日と重なる。
 このサイトでは、ゲイ、レズビアンバイセクシャルトランスジェンダーのコミュニティのための週刊新聞「ベイエリアリポーター(BAR)」に出た死亡記事すべてのオンラインデータベースが提供されている。BARとGLBT歴史協会が共同スポンサーとなり、このサイトには1979年から現在までに出された10344件の告知記事が入っている。
 「死亡記事の多数、特に1980年代初期から1990年代半ばまでのものは、サンフランシスコのエイズによる荒廃を映し出している」とトム・バーチは語る。彼はGLBT歴史協会のボランティアでこのプロジェクトを考えついた人物だ。「私たちの都市だけで20000人ちかい人がこの病気のためになくなった。最初にエイズが確認された場所のひとつとして、この病気の流行による被害が決して忘れられることのないようにすることが私たちに課せられた特別の責任だと感じている。このウェブサイトは私たちが喪った人たちに敬意を表す方法のひとつを提供してくれる」。
 リストの一つひとつにはBARに掲載された告知記事のスキャン画像とゲストブックがついており、ゲストはそこに自分の思い出や心情を書き込むことができる。サイトには平均して月に3000ほどのアクセスがあり、ゲストブックへの書き込みはアメリカ全土、そしてカナダ、イギリス、オランダ、スウェーデンから寄せられている。
 リストは定期的に更新され、新聞に出た死亡記事を取り込んでいる。GLBT歴史協会および「ベイエリアリポーター」の死亡記事データベースは無料で利用できる。
 ご訪問を。 http://obit.glbthistory.org

 ためしに例のハーヴェイ・ミルクの伝記を書いたランディ・シルツ(Randy Shilts)氏を人名検索してみると、…出てくるわー。すごい。カミングアウトを基本とする文化と寝た子を起こすなを基本とする文化の違いと単純化するのは危険だが、なんだかすごいなー。ちょいと前に国内で、プライドパレードの話になったとき「自分は普通に地味に生活できればいいんで、ああいう派手なのはちょっと」という意味のコメントをもらったのを思い出す。
 エイズで死亡するということが本人にとってだけでなく家族にとっても秘匿すべきスティグマであるような日本ではおそらく考えられないようなデータベース(この点で受刑者の収監記録=個人情報の入った公文書=を展示に利用しているOld Melbourne Gaol に通じるものがあると感じられる)。これはおそらく夜間に出歩いて性的暴力に遭遇した婦女子を自業自得視する見方にもつながっている。何につけネガティブな成員を出した家族は、そのことによって世間(の一員と自負する人々)から指弾という名の嫌がらせを受ける(ほとんどの場合匿名で)。自分は大丈夫ということを言い聞かせるために大丈夫じゃない誰かを見つけ出し祭りあげないと落ち着かない心性と整理したいがそのためにはまだあちこち詰めないといけない。が、鈴木伸元『加害者家族』幻冬舎新書=これも毎日新聞の書評から)なんかを読むとこの方向での整理はそうそう間違ってないような気はする。速く走るのが楽しい人は速く走れない人のことをあんまり気にしない。速く走れなくって、かつ、もっと速く走らなきゃと思い詰めた人が自分より速く走れない人を見つけたがる。…へこへこ歩くにしくはなし。
 子どもそっちのけで子どもに尽くす。感動的
 
 
 

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