ひさしぶりに穏やかなデスクワークの日。出張後の事務書類がようやくかたづいてひと段落。事務書類をカタしたところで、収穫をかたちにするのはこれからの作業でござる。
 外務省の渡航情報サイトを見ていたら、「インドは感染症の宝庫」と。虚弱児の自覚をもって慎重に臨むべし。
 藤吉が(一浪して)大学に入学した1983年ごろはちょうどワープロが出まわり始めた前後で、機械式のタイプライタをもっと重くしたようなかたちの、高さ1.5センチ、幅10センチほどのモノクロ(黄緑色)の液晶画面に1行だけ文字が表示されるワープロにチャッピィと名をつけて使っている先輩が学生寮にいた。大学生協の電化製品カタログには関数計算できてグラフも表示できる優れものという電卓製品がたくさん並んでいた。それからしばらく、寮の数名でお金を出し合って当時の大枚40万円をはたいてNECVMを購入した。モニタはブラウン管で黒い画面に白文字が浮かぶもので、ウィンドウズ3.1の上で一太郎ver.3を使って印刷物の版下などをつくっていた。それが86年ごろ。インクリボンを使ったドットインパクト式のプリンタは地道に1行ずつ印字するもので、ピリピリピリ、カチャ、ブィーンとやかましい音をたてながら分速1枚いくかいかないかのスピードで印刷作業をしていた(ちょっと長い原稿だと印刷にひと晩かかったりした)。そうこうするうちに自室にパソコンを用意する寮生が少しずつ現れ、それなりに高い買い物であったパソコンをどっちにするかは重要な課題のひとつだった。文系ならやっぱマックでしょーという声もよく聞かれた。解説本などをよく読んで自分で判断して決めるというのはおそらく少数派で、自分の身近でどちらがよく使われているか(何かトラブった時そばに聞ける相手がいるのはどちらか)で、マッキントッシュにするかウィンドウズにするかが決まっていくような感じだった。たまたま藤吉のまわりにはウィンドウズを使っているメンツがそろっていたので、自分もウィンドウズでそろえることになった。が、研究室に行くとウィンドウズマシンと並んでマックのマシンもあって、なんとなくおしゃれな感じがしたものだ。だからというわけではないが…スティーブ・ジョブズ氏のご冥福をお祈り致します。…こんなん出てるそうです。BBCの記事はこちら