この雑記を読んで下さっている方のなかには本学の「学報」に目を通しておられる方も多いのではないかと推測されるが、7月に出された最新号(64号)には藤田光寛学長をはじめ今春あらたに執行部の任に就かれた方々が何名か挨拶を寄せておられる。その中で注目は副学長(教務担当)になられた武内孝善教授の「就任にあたって」であろう。「大学のあるべき姿を取りもどす」という意図のもと、そこでは「教員の後継者―特に日本密教・中国密教・密教美術を担当する―を養成すること」、「写本が扱える学生・後継者を育て、大師以来、このお山で培われてきた伝統的な教学を継承・発展させてゆくこと」などを課題として挙げておられる。
これらはいずれも執行部の任期(通常4年)で何か結果を出せるようなことではないと思われる。とすれば、ここで目ざされているのは、短期的な結果であるよりも、そのような結果を将来もたらしうるような教育体制の整備であると見ることができよう。ここに言われる「写本」がいわゆる古文書類(聖教=しょうぎょう=を含む)だとすると、その体制整備のなかには当然ながら古文書を読む、すなわち歴史的な崩し字を読み解くためのトレーニングも含まれるはずである。本学所蔵の古文献を、ひとまず字面のうえで読み解けるようになるにはどの程度の訓練が必要であるのか、そして、そうした訓練についていくためにどの程度の「基礎力(ガマン強さも含め)」が学生サイドに求められるのか、藤吉に確たることは言えないが、この試みはある意味で、本格的に着手されれば本学のパンドラの匣を開けるものになり得るかも知れない。その帰趨に注目しないわけにはいかない。
ちなみに「学報」は紙媒体による発行のみでオンライン公開はされていないようです。が、「それゆけ!図書館だより」はオンライン(途中からPDF)で公開されています。
力のこもった、しかも内容も面白い論文を読ませてもらうと、こりゃ自分もがんばんないと、という気に否応なくさせられてしまう。もう少し淡々とできればいいのだが、いかんせん、これはどうしようもない。空気を入れてもらっただけよしとしよう。