ひゃー、さぶそー@tenki.jp。今日は天気図を重ねるボタンが消えてしまっている。

…アフリカでもやってますBBC。 
 ありゃー、やっちゃったー@朝日新聞デジタル。…実は(というほどでもないが)南海電車堺東駅のそばにもあるのです。
 充電中。手を出さないで@EmergencyKittens。
 うしろアタマかいー。むっきっきー。
 来週も来ますが今週も来ました、芦原橋。なんだかうっすらけぶっているハルカスを見はるかす。

 いつも大通りばかり歩いているので今回は団地を抜ける細道を歩いてみる。土曜のお昼すぎだというのに子どもの姿が1人もない、というか、人影がない。子どもがいないってわけじゃないと思うが。…冬だからかな。

 90分のご講演で16ページの資料。これは話しきれんわ。最初は「貧困率」のお話から。これについては厚生労働省調査結果を公表している。ざっくり所得が標準的な世帯の半分以下だと「貧困」に区分されるそうだ。これまたざっくりこの「貧困」に区分されると生活保護の対象となるらしいが、実際に生活保護を受けているのは「貧困」層の1/4〜1/3どまり。ただし、生活保護対象とほぼ同額(1.1倍)で対象となる「就学援助」を受けている世帯の割合は貧困率のそれに近いとのこと。資料にも紹介のあった青砥恭氏がこんな記事(20121203)を書いておられる。
 子どもが貧困なのは子どものせいではないし、子どもに親がいないのも子どものせいではないのだが、子どもの将来が親同士の「手柄競争」という性格を帯びている以上、親がいなかったり貧乏だったりするくせにちゃんと勉強できる子どもなんてのが増えることに不快感を感じる大人はけっこう多いんじゃないかとかお話を聞きながら考えた。
 教育を受けることで貧困から抜け出すというルートは重要だが貧困から抜け出して仲間入りする社会が教育のない者に貧困を強いる社会のままであるとすると、やっぱりなかなか悩ましいだろう。
 中卒どまりだったから、高卒どまりだったから、あとから入ってきた大卒の若いもんにいつのまにか出世も給料も追い抜かれていた。だから子どもには大学までいかせてやらないと、は、入社していつまで経っても最終学歴がついてまわるしくみそのものに対する疑念に向けられなければならなかったのではないか。労働組合がそういう議論したなんてことはなかったんだろうか。
 ちなみに、藤吉が大学に入った1980年代前後は国立大の入学金と授業料が(たしか私学との格差を「是正」するというような触れ込みで)毎年交互に1万円ずつ値上げされていた。藤吉の入学時の学費は半期で10万8000円(だか6000円だか)。その頃「年寄り」と呼ばれていた遠い先輩には半期で何千円とかいう人もいた。大学の学費上昇を放置しつづけたのは「前向き」な人々のウカツのなせるわざであったろう。
 なんだかtenki.jpのトップページがえらいシンプルになっている(ような気がする)。何かリストラでもあったんだろうか。

 ついでに言うと、金持ちの親元に生まれついてしまったことそれ自体は子どものせいではないでしょう。
募集中だそうです。…いつの間にか取扱い停止になっている…7月中旬スタートで再開してます。
 あれから10年後までの予想
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 今日・明日のエアロゾル九州大学
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