いただきものの『「近畿大学の大学アーカイヴズ構築に関する基礎的研究」研究報告書』読了。いい報告書だった。これは近畿大学の学内研究費で実施されたプロジェクトの成果だが、報告書には諸大学のアーカイブズの規則・規程類のような調査成果を収めるだけでなく、プロジェクト自体の記録すなわち研究費の申請書(大学あてのもの。科研費の申請書を模したと思われる)、研究会の議事録、プロジェクトと連動したFD研究集会の開催案内といった資料も掲載され関係者の記録への意識を感じさせる。で、このFD研究集会というのが「大学改革における大学アーカイヴズ」と題して開かれた学内講演会(打田の生物理工学部からもご参加の様子)。講演は2本。「大学改革における大学アーカイブズの役割―「大学」の基礎条件の一つとして―」(寺崎昌男氏:立教学院本部調査役・東京大学名誉教授)、「学習院アーカイブズの活動と課題―私大アーカイブズの一事例―」(桑尾光太郎氏:学習院アーカイブズ)。どちらも読ませる。で、あー、わしはこういうことがやりたかったんだなあと思わせる部分が寺崎氏講演の方にあったので講演者のお許しもなく、まるっと一段落を以下に引用させていただく。東大で百年史の編纂に携わられた講演者が、その過程でアーカイブズなるものが外国の大学にはあるらしいという話に触れ、それじゃ様子を見てこようと1980年代後半に全米アーキビスト協会(Society of the American Archivists, SAA)の大会に足を運び、その機会にいくつかの大学を直接訪問された際のエピソード。…あの頃、どんな先生がどんな授業をしていたのか、それがぱっとわかる状態を維持する体制整備が重要である。

 大会が終わった後、2、3の大学を訪ねてみました。あちこちで話したことがあるのですが、私にとって鮮烈な印象でしたので、お聞きください。ミネソタ大学へ行きましたときに、知り合いになった女性のアーキビストが、私の行ったその日に旅行に行くというのです。どこへ行くのかと聞くと、バケーションを利用してイギリスに行くと。私の代わりにこの人が相手をしてくれるからと、若い女性の大学院生を紹介してくれました。彼女はパートタイムだけど、責任を持ってくれるからと。その女性に私は聞いてみました。ついでだから何でも聞いてやれと思ったんです。「1930年代のどこかの学部の時間割はないですか」。すると、「ああ、あります」と言うなり目の前でさっとロッカーへ歩み寄ると、そこには1932年のものでしたか、生物学部の資料が全部入っていたのです。その中からちゃんと時間割を引き出してくれました。えーっと思いながら見ると、その当時の生物学部の教授活動が一目で分かるんですね。考えてみると、私のおりました東大教育学部では、もはや10年前の時間割も残っておりません。その年が過ぎたら、何の役にも立たないものだから、捨ててしまうんです。そういうものがちゃんと出てくるのです。こういうことが実は大事なんだと思い知らされました。これがあると、例えば昭和6年から7年にかけて、現にどういう人がどういう科目を教えていたかなどが一発で分かるんです。(p. 77)

 10年前の時間割どころか現用中の規則類さえてんやわんやしないと一式そろわない状態からの脱却は、ある種の文化大革命と呼ばねばならないかもしれない。伝統と歴史を語るなら、オーラルヒストリーのみに依存せず記録や証拠を保全すべし、ということだ。
…実は職場の本棚には寺崎昌男『大学は歴史の思想で変わる――FD・評価・私学』東信堂、2006年)てな立派な本が数年前から鎮座ましましていて、ビッグネームの本だし読んどいたほうがいいだろうなあで積ん読状態だったのだが、これはちょっと、ざざっとでも読まないかんかも。また増えた、読まないかん本…。
 10代後半の頃はバカな大人のせいで兵隊にとられたらかなわんなと思っていたが、50代に近づく今はバカな大人のせいで兵隊にとられて喜ぶ若者はどのくらいいるんだろうかと思っている。
 台風なう   オセアニアの天気なう