忘れないうちに復習をと、えずけんで歩いた京・大坂道を再び歩く。前回不参加のメンバーを、今度は藤吉が引率するという格好。幸い要所要所で記憶が戻り、気分的にも余裕のある「高野への道」を楽しむことができた。なんといっても「前のペースで行けば5時間そこそこ」とわかっているというのが心強い。とはいえ、たった2週間のうちに空気が随分冷えてきている。年末までにせめて町石道の方も丹生都比売神社までは、と思ったがこんなペースで冷えてこられてはちょっと二の足。
 気分的な余裕も手伝ってか、道々の風景にもそれなりに目がいくようになる。途中、懐かしいぎんなんの臭気が。学生時代に暮らしていた学寮の入り口前の通路には左右に銀杏並木があり、季節になると近所のおいちゃん、おばちゃんが拾いに来ていたのを思い出す。手間はかかるが処理して火を通せばうまかろうとポチポチと潰れていないのを見つくろって拾う。こういうの、落ちてるのが当たり前の環境だと気にもとめないのだろうと思いつつ。と、「それ、うちのいちょうですわ」と人の声が。どうも地元の人であるらしい。結局お返しすることになるが「もらうというのもアレなんで、ここに入れといて下さい」とバケツを指さされる。見ればその中には同じようなことをして同じように声をかけられたであろう人々の銀杏の実が。なんと吝嗇な、と君言うなかれ。高野の収奪(詳細はこちらの書物で)をしのぎつつこの地に生を保つということは、このようなたくましい人々なればこそ可能であった、呑気な給与所得者に容喙の余地なし、ということでござる。ささやかながら地元の活性化へのボランティアとして貢献できたのであり、もって瞑すべし。