長々と電車を乗り継ぎ今日はなんば・梅田も突っ切って(人混み苦しい…)阪急電車で石橋へ。そこからへこへこ歩いて大阪大学で開催中の展示会へ。なんだか電車に揺られてる間に目やにがたまってきてるような気もするが気のせいと言い聞かせる。下界はぬくい。ぞろりんとしたロングコートで歩いていると背中を汗が流れる。正門ではないのであんまり仰々しくないエントランス。キレイな青空。

…と思えばそう見えるんじゃないかな。
 あったあった、これこれ。

 看板の向こうが目当ての建物。もとは(たぶん医学部付属の)医療技術短大として使われていたらしい。

 スロープを上がって建物入口からのながめ。カフェもついてる。感じとしては12月に見学した台湾の二二八記念館のような感じ。

 あいにく展示室は撮影禁止だったのだが、なかなか見せる(本館にお邪魔した時もうちょっと展示室にも出入りしとけばよかった)。新旧の憲法を筆頭に、民撰議院設立建白書(明治)、『米欧回覧実記』(明治)の挿絵に使われた銅版、渡良瀬川の砂(明治)、明治末から昭和戦前期にかけて何度も「鉄道国有法ノ精神ニ反シ且成業覚束ナキ理由ニヨリ却下」され続けた「東京−大阪間高速電気鉄道」の図面(大正)、室戸台風時の手書きの天気図(昭和)、新しいところでは阪神淡路大震災の被害状況写真(建設省近畿地方建設局)など。大阪大学にちなむものとしては大阪府会議長・薄恕一から総理大臣臨時代理の外務大臣幣原喜重郎に提出された「大阪帝国大学設立に関する意見書」(昭和5年12月18日)など。こういうの見ると、やっぱり戦時の大学統合をくぐり抜けた高野山大学のその「くぐり抜け」に関連する文書の展示が本学にもほしいところ。図書館でやったりしないのかな。○○名誉教授の入学試験の答案、とか。それはヤバイか。
 この特別展は建物3階だったが別フロアの大学史常設展には湯川秀樹博士のコーナーもあり「ノーベル賞を授与された研究は阪大時代のもの」と奥ゆかしくアピール。
 会場にはこの特別展のものだけでなく、東京の本館や京都の府立総合資料館で開催された展示の図録も少し置かれていてちょっとトクした気分。…証拠隠滅(コレはオレが墓場まで持っていく)こそが日本文化の神髄。なんて言ってちゃあ、やっぱりイケマセンなあ。
 お話によると国立公文書館は今後も館外展の企画をお進めになるそうな。あちこちに協力者(館)ができて、いつもどこかで館外展みたいになるとよい。それとは別にデジタル展示「公文書の世界」というのもウェブ公開されている。数は少ないがいくつか資料を見られます。入り口は→こちら
 ひととおり拝見して1階のカフェでちょいと小休止。アフォガドがあるんだなあ。おいしい。…いま調べたらアフォガドではなくアフォガート(イタリア語)だった。アボガドと混ざってました。ピストルがピスフィットルになるみたいなものか。初めていただいたのは初上陸した早春のキャンベラ。すべてはそこから始まったんですなあ(じじい的回顧調)。

 お目当てだった数名のご学友とも接触することができ、人混みに臆せず出歩いた甲斐があった。帰って鏡を覗いたら白目が充血しているような気もするが、まあ、一生懸命に展示を見たことによる疲労であるということにしておく。
 ハンコで淫虫ですか。ちょっと見てみたいかも。自分でやるには勇気がない(意気地なし)。誰か見せてくれないかな…。
 そういうと、内閣不信任案なんてのも公文書に入るのかしらと帰りの電車の中でちょいと前のことを思い出して調べてみた。さすがについこの間のことなので公文書館に移管されるには早すぎる。検索語をあれこれしていくつかのぞいてみたら、みんなの党のサイトにあった。「趣旨弁明」はけっこう長くて読ませる(聞かせる)。が、本文自体は「本院は、野田内閣を信任せず。/右決議する。」、これだけ。これだけじゃあちょっと拍子抜け。宗議会ではどうだったんだろう。事情の一端は高野山出版社が発行している「高野山時報」を読んでいるとわかるみたいだが、提案者側の「趣旨弁明」も記事になってたりしたんだろうか。…と思ってさがしてみたらちゃんとあった(このページでは「宗議会」ではなく「宗会」とされている。そっちが正式名称かもしれない)。そのうち、会議そのものにビデオカメラが入ってネット中継くらいしなければならんということにもなるのかもしれない。見てみたいなあ、やるんだったら(倒置法)。
 それなら教授会はどうか。誰が卒業には単位不足とか誰の卒論は何点とか、個人情報満載の時間もあるのでフルオープンは無理だろう。が、議題によってはカメラを入れてもいいかもしれないし、あるいは個人情報の飛び交うレベルではない、もうちょっと「俯瞰的」な話題については、傍聴者も受け入れるオープンな場でディスカッションしてもいいかもしれない。

…彼は私的な支出には手をかたく閉じ、公的な支出には手を開いた。彼は自分の家を整えねばならないときには、一マケドニア人であったが、将兵の負債をはらい、ギリシア人に戦利品を分け、軍隊の各員を昇進させなければならぬ場合には、アレクサンドロスであった。…(モンテスキュー=野田ほか訳=『法の精神』(上)岩波文庫、p. 282)

…なかなか。 
 本学サイトにも案内をアップしました。どうぞご来場を(おもに近在向けアナウンス)。もう来週です。
 そういうと、こんなんあるそうです。
 地には平和を。
 出自による差別と思想信条による差別とではどちらが悪質か。というそもそもそういうのを秤にかけること自体が悪質であるか。