やっと出てきた。専門家の方々にはナニヲイマサラ的な内容かも知れないが素人的にはしめしめ。お勉強メモ。

 各国家には三種の権力、つまり、立法権力(la puissance législative)、万民法に属する事項の執行権力および公民法に属する事項の執行権力がある。
 第一の権力によって、君公または役人は一時的もしくは永続的に法律を定め、また、すでに作られている法律を修正もしくは廃止する。第二の権力によって、彼は講和または戦争をし、外交使節を派遣または接受し、安全を確立し、侵略を予防する。第三の権力によって、彼は犯罪を罰し、あるいは、諸個人間の紛争を裁く。この最後の権力を人は裁判権力(la puissance de juger)と呼び、他の執行権力を単に国家の執行権力(la puissance exécutrice)と呼ぶであろう。(モンテスキュー=野田ほか訳=『法の精神』(上)岩波文庫、p. 291)

 どうも今いう三権分立とはちょいと異なる。第二、第三のは外交と内政という区分もしくは外交関係における主権国家としての権限行使と国内の市民(臣民)生活における私人間の利害調整としての権限行使の区分、とでもしたらよいか。

 同一の人間あるいは同一の役職者団体において立法権力と執行権力とが結合されるとき、自由は全く存在しない。なぜなら、同一の君主または同一の元老院が暴君的な法律を作り、暴君的にそれを執行する恐れがありうるからである。
 裁判権力が立法権力や執行権力と分離されていなければ、自由はやはり存在しない。もしこの権力が立法権力と結合されれば、公民の生命と自由に関する権力は恣意的となろう。なぜなら、裁判役が立法者となるからである。もしこの権力が執行権力と結合されれば、裁判役は圧制者の力をもちうるであろう。(モンテスキュー=野田ほか訳=『法の精神』(上)岩波文庫、pp. 291-292)

 高校教科書(現代社会)的に言われる三権分立のチェック・アンド・バランスなんてのは、このへんを念頭に置いていいのかもしれない。コレが理想のバランスというのが示されているわけではなく、「お手盛り」を避けるためには少なくともこのみっつを分けておかないといけない、くらいの意味と考えておいたらいいのかもしれない。…もうちょっと先に、また何か出てくるかな。
 読めてうれしいフランス語。というか、単に知ってる名前が並んでてうれしいというだけかも。

Les grands textes classiues où il était question du mariage -- l'Économique de Xénophon, la République ou les Lois de Platon, la Politique et l'Étique à Nicomaque, l'Économique du Pseudo-Aristote -- inscrivaient la réflexion sur les relations conjugales dans un cadre large: la cité, avec les lois ou les coutumes nécessaires à sa survie et à sa prospérité, la maisonnée avec l'organisation qui permet son maintien ou son enrichissement.(Michel Foucault, Histore de la Séxualité 3, Le Souci de Soi, Gallimard, 1984)

 今日はこんな感じ@AQI

 
 本学サイトにも案内をアップしました。どうぞご来場を(おもに近在向けアナウンス)。もう来週です。
 そういうと、こんなんあるそうです。
 地には平和を。