加速せよと言われてほいほい加速できたら苦労はないわけです。
 ちゃんと論じてる方がおられます。スポーツ活動と昇進(PDFが開きます)。
 これは結構いろんな意味で大事な集まりと思う。誰か聞いてきてあとで話してくれないかな。2/5(火)夜、新大阪丸ビルにて。
 2月15日(金)まで募集中です。よろしくお願いいたします。
 あわせてこちらも。同じく2月15日(金)しめきりです。よろしくお願いいたします。
…たぶん、個別指導に淫する態度が文化的癌のひとつである。 
 あー、よろしいですなあ。
 ホモフォビアにならない質実剛健は存在しうるか。
 お。

 共和国においては、贈物は醜悪なことである。なぜなら、徳がそれを必要としないから。君主国においては、名誉が贈物にまさる動機である。ところが、名誉も徳も存在しない専制国家においては、生活を快適にするものへの期待によってしか、行動する決心がつかない。(モンテスキュー(野田ほか訳)『法の精神』上、岩波文庫、pp. 148-149)

 かたづけができてる人ってのは、かたづけが得意なわけではなく、かたづかないほど持ち物を増やしたりしない人、というだけのことなのかもしれない。かたづけなきゃと思ってる時点ですでにアウトの可能性はある、と。

 その4
 現状では、組織だって行なわれている書くためのトレーニングは1回生向けの「日本語」に限られる。「日本語」では「学生(の大半)は宿題(自宅学習)をしない」ことを前提としているので、書く作業は授業時間内に限られ、最大でも原稿用紙2枚分の作文を提出させるのが限界である。週に1回きりの練習で上達するのかという疑問はあるにしても、書いている様子を見る限り、少なくとも書きあぐねて提出できないという状態は抜け出せているように思われる。また、なかには限られた時間(漢字のテストや事前説明などもするので執筆時間は実質およそ60分程度)でそれなりによく考えて書いていると思わせる作文もあり、こういう学生に適切なトレーニングを提供すれば、書くことに慣れるというところからさらに進めて、自分なりによく考えて書けるというところまでいけるのではないかと期待される。
 しかし今は、2回生から3回生の間に文章作成のトレーニングを受ける科目は体系的には設置されていない。基本は教員それぞれの授業運営に任されているのが現状であり、極端なことをいえば、本学の学生は「60分で原稿用紙2枚分を書く」というトレーニングを初年度で受けたのち数年のブランクを経て「1年かけて準備して原稿用紙30枚分を書く」という課題に臨まなければならない。レポート試験などで5枚〜10枚程度のものを提出することは何回かあると思われるが、それが添削され、返却されているとは限らない。2、3回生の間は書きっぱなしで何のフィードバックもなく過ごし、気づいたら目の前に卒論が立ちはだかっていたという学生は少なくないのではないか。そこそこ学力のある学生にとっても容易なハードルではない。いわんや…と言わねばならない。どうせできないのだからと最初から投げやりな取り組み姿勢になる学生が多くなってもやむを得ない状態にあることを本学は認めなければならない。責は学ぶ側ではなく教える側にある。