ほほう、こういうのが公開されているようだ。地域のみなさまにお役立ち情報を提供する大学。…地図になって、時間の経過でアニメーションするとtenki.jp の気象衛星画像みたいになって見やすいのだが、なかなかむずかしいかな。
 ちょいと前にご紹介したGLBT歴史ミュージアムの新しい展示についてBay Area Reporter という新聞が紹介している。日本語訳はつくりませんがご関心おありの向きはご一読を。→こちら
 同性愛者に違和感を感じる人の中には「同性愛者」という言葉に違和感を感じている人も少なくないかもしれない。それは例えば自分を「まとも」だと思っている人が自分を異性愛者と呼んだ時の違和感を想起してみるとよい(ないかな、違和感)。この呼び方をすると、異性愛者は異性に、同性愛者は同性に、年がら年中発情しているように感じられないだろうか。「異性を愛する者」「同性を愛する者」という意味でのこの語句だとは思うが、その中に「性愛」という語が見分けられるために常時欲情中というようなニュアンスが醸し出されるのではないかと推測される。
 こういう雑駁な印象論のまま話を進めてしまえば、異性愛者の男性が同性愛者の男性に違和感を感じるのは「リードする私」を脅かされることへの警戒心によるところもあるのではないかと思えるし、同性愛者の男性がやっていることをウリにする飲み屋さんが女性に受けるのは「リードされそうになるのを回避するのに神経を遣わなきゃいけない私」を武装解除されることへの安心感によるところもあるのではないかと思える。
 私は同性より異性が好きだが(だからといって)異性に対して四六時中発情しているわけではないという言明が真でありうるのと同様、私は異性より同性が好きだが(だからといって)同性に対して四六時中発情しているわけではないという言明も真でありうる。にもかかわらず、異性愛者の男性が同性愛者の男性に違和感を感じなきゃいけないのはなぜであるかというと、…中略…要するに、「常にリードする側にいなきゃいけない私」のプレッシャーの影響を強く受けているからという見方も可能なように思える。何か(誰か)を従えることによってようやく安定する主体性…。…以下略。
 ほほう、昔から仲よくしていたというか昔から争いが絶えなかったというか、これだけではどちらとも言いがたいが、まあ、人の行き来は国境なんてものとは関係なかったでしょうなあ。
 本学の密教文化研究所が専任研究員(任期つき)を募集しています。おこづかいもらって高野山に住めて高野山のこと勉強できたらラッキーという方は是非。→こちら
 「体育科があるから体罰があるかのように言われているけれど、違うはず。桜宮だけの問題にしてほしくない」という発言は重い(と思う)。この記事を読んだだけなのでなんとも言いがたいが、個人的には「たしかに。体育科などなくても体罰は存在するでしょう。他の学校もしらみつぶしに調査すべきだということですね、犠牲者が出る前に」と反応したくなる。…そんなにひどいとこばっかなのか、大阪…。何がイカンのやろう、関西の…。むかーし、自転車の路上駐車を注意されて逆ギレするおばちゃんをフィーチャーしたCMだかなんだかのショートフィルムを思い出す。「なんやの! みんなやってるやないの!」(セリフはウロ覚え)
 あら、日本にもちゃんとあった、こういうサイトNHK。いくつになっても知らんこといっぱいですなあ。
 いやあ、いい話があちこちから。
 このメッセージは覚えておく。