山上1℃、冷やぬるいくもり。午後の会議まで相変わらず机仕事がしがし。
 ダメなのがどれだけやったって所詮ダメというのは自分を否定することになりかねないので言いません。
 意味よくわかんなくても横文字本ずいずい読む継続中。それでもたまーにわかった気になれるところがあると嬉しい。

On ne peut pas se constituer comme sujet moral dans l'usage des plaisirs sans se constituer en même temps comme sujet de connaissance.(Michel Foucault, Histoire de la Séxualité 2 L'Usage des Plaisirs, Gallimard, 1984)

 単語の意味が分かってもつながりがわかんないとか、構文はなんとなく推測できるけど単語の意味が分からんとか、そんなんばっかり。いま辞書抜きで分かるのはこの程度。調べないから分かる単語も増えない。それでも読む。いつか辞書ひきひきちゃんと読もうと買い込みすぎた自分へのお仕置き。ぺちぺち!
 補講も終了、会議も終了。あとは試験の(心の)準備と来年度に向けた準備。今年度の右往左往を生かし年中行事のロードマップを作成する。百花繚乱のオーラルヒストリーを駆逐せよ!
 「イヤならやめれば?」と「できないならやめれば?」の間を浮遊中。

 その1
 カリキュラムは「所定の力を有すると本学が認めた学生に、4年間かけて体系的に科目を履修させ、卒業生としてふさわしい力を身につけさせる」ことを目的としたプログラムと見なすことができる。ここで重要なのは、「入学時の力」を「卒業時の力」に引き上げるための配慮が体系的かつ合理的になされているかどうかである。
 ここにいう「入学時の力」とは、入学試験によって本学が入学希望者に要求している力のことである。入試科目は国語と英語の選択、または小論文であり、ほぼ全員が英語ではなく国語を選択していることから国語または小論文と見なしてよい。これによって保証される力とは何か。端的に言って「新聞の易しめの記事を、難しい漢字は飛ばしながら何とか読める程度の力」である。これ以外の力を本学は入学時に要求していない。それゆえ、初年次の授業はこのことを前提としてデザインされるべきである。

…何の因果でこういう作文をせにゃならんのかといえば、たぶん不届きな学生時代を送っていたバチが当たり中なんだと思う。ぺちぺち…。 
 入籍という語句が今でも好まれるのは所属主義への愛着が根強く存在していることの証のひとつと見てよろしいと思う。そういえば誰だったかな、拉致されていた例の国でアメリカ人男性と結婚した女性が、解放されて帰国して、そのあとアメリカの彼の家族を彼と一緒に訪問するに当たって、「よい嫁でありたい」という希望を述べたということについて言及していたのは。
 ちょいと前のですが、大阪で募集中