過日訪問したサンフランシスコの GLBT Historical Society のニューズレターより。どんな分野でもそうだが、アメリカでは国家機関が裁量できる補助金が随分あるようだ。日本にもあるそういうのを藤吉が知らないだけかも知れないが。

Thanks to a generous grant from the National Historical Publications and Records Commission -- an agency of the U.S. National Archives -- the GLBT Historical Society is busy surveying its more than 600 manuscript.

…で、この補助金で進められているプロジェクトの進行状況を公開するブログは→こちら…写真がたくさん載っているのは見ていて楽しい。
 昨年の夏にスウェーデンヨーテボリで開催された社会学の国際会議(藤吉チームで参加した/するのとは別系統)、これに参加された人たちが実況中継を兼ねて開設されたブログを見ていたら、他人の研究報告をどのような視点で見ればいいかについて、キレイにまとめられていた。寄ってたかって半年かけて1冊の本を読み切るという授業ではここまで緻密な評価は必要ないと思うが、この先、自分の卒論を計画する際には時々こうした視点で距離をおいて自分のプランを眺めてみるのがいいかも知れない。

1)問題設定はクリアーか、
2)研究方法を明示しているか、
3)的確な方法を用いているのか、
4)データは十分か、
5)概念規定は明確か、
6)結論は明確か、
7)オリジナリティはどの程度あるか、
8)研究の限界をどのように自覚しているか、
9)この研究から自分が新たに学んだことは何か、
これらを問いかけてみましょう(このような観点から、自分が質問してみるのもいいことです。細かなコメントは難しくても、確認的な質問はしやすいものです)。

 特に「限界の自覚」というのは大事と思う。目の前の課題にのたうち回ってる最中からそこまで考えられっか!という気にもなりそうだが、限界を自覚するというのは多分、「自分がここで言い切りたいことは何か」を意識することだと言い換えてもいいと思う。…そこで言いたいことが、「頑張りました」「大変でした」、あるいは「たくさん勉強しました」に終わっては、せっかく自分の話を聴いて(読んで)くれる相手にも失礼というもの、ということですね。…自分にはね返ってくる言葉であるなあ。むー。