長々と電車を乗り継いでかつらぎ町へ。伊都振興局の人権研修会に参加(学内人権研究会のメンバーとして)。橋本駅で南海からJRに乗り換えて和歌山方面へ数駅、妙寺駅で下車。快晴のなか線路沿いにてくてく西へ。線路の向こうの山を望む。この山々を北へ越えると多分大阪府

 道路をちょいとそれると線路を間近に見られます――よい子は線路に入ってはいけません。よい子でなくても、しばらく電車なんか来ないとわかっていても、線路に入ってはいけません。

 道の両側を田んぼがさわさわしていれば、暑くってもてくてく歩きに悪い道じゃない。が、歩いてる横をびゅんびゅん車が走っていては落ち着いてぼーっと歩けない。こうやって田舎の道は、そこに住まない人間のための移動経路になっていく。…まあ、そういうことに怒りを感じてというわけではないと思うが、なんだか買収に失敗したのか途中からえらく細くなってしまっているホールへの道。

 で、その先に立派なホール。

 開会挨拶のあとNHKで放送された「なまえをかいた」を上映、そのあと吉田さんご本人、娘さん、吉田さんと公民館でおつきあいのあった浮穴(うきあな)さんのお三方でトーク。文字を書くという今の社会ではできて当たり前のことができないまま生活することがどれほど不便、であるだけでなく、どれほど屈辱的であるかということが強く印象づけられた。「大学から戻ってきたって金剛界曼荼羅胎蔵曼荼羅の区別もつきゃしない」と親に嘆かれるような子でも「所定の課程を履修した」と認定してきたのだとすれば、今やその是非を考えざるを得ない。個々の授業において「何をクリアできたら合格とするのか」が(どういう学生を「教育に値する入学者」としているのかを前提として)真剣に考えられなければならないだろう(当然これは、そういうことがこれまでちゃんと考えられていないに違いないという予断に基づいている)。

 要するに、自分(のやったこと)にダメ出しできる力をつけるのが大事、ということなのだが、あんまりダメ出しばっかりしてると気が滅入ってくるし、そうなればそもそも何かやってやろうという肝…もとい…気も起きなくなる。これはつまらない。そういう時こそ言うのだ。これでいいのだ、と(どっちやねん!)。
 ちなみに今日は、パリ祭