黙々とやっている。が、アタマはぐるぐるしているので気づかないうちにぶつぶつ独り言しているのではないかという不安が時々。
 ぶーぶー言ってる人たちはもともとあんなとこやそんなとこには入れてないだろう。じゃあどこに入れるのか。まとめて決めてくれたら協力する。
 げ。ホントに狙い撃ちにしてたのか。まあ、じっさい外来じゃなくったってこれからいくらでも外来もどきのレッテルがまき散らされるだろう。「うちの」って言葉やめるだけでだいぶ日本人ぽくなくなります。あ、一人称単数のそれはよろしいです。
 こういうのもオマエは黙っとけ、その応用形でこういうのはオマエは引っ込んどけとでも呼べるか。
…それにしてもスウェーデン、おもしろい国。秘密にしないですむことばかりで運営できるようにするのが最高の安全保障と達観しているのか…これはちと誉めすぎです。戦闘機つくる会社とかあるのに(ビゲンはつくりました@田宮模型こんなんあったよ。ドラケンもおるっ。むきー!)これは企業秘密の方で対処してるんだろうか。軍事的中立国だったというのも大きいかも知れない。
 「高野町の代表」を「高野町政府の代表」と置き換えたときの気持ち悪さの一端は、たぶん後者の不安定さにある。前者には「高野町」という安定した存在があり、そこで(まあ心太式で順番に)代表を務めるという十年一日(千年一日でもよろしい)的安定さ=無時間性=がある。が、後者にした途端「それは『高野町』の一部でしかない」的な心細さ=いつ終わりになってしまうかわからない=が発生する。このとき、「高野町政府」は「高野町」と対峙するし、「高野町政府の代表」は「高野町の代表」と対峙する(あれ?)。対峙するのがイヤなら高野町政府=高野町となるような高野町にしてしまえばよいのだ。もう多分40年ちかく前、環境庁長官だかをやっていたおっさん(今はモサドマニアのじいさん)が、電車の車窓から見える看板が風景を汚している、あれも環境問題だ、的なことを新聞の投書欄に書いていたが、それが、自分の目に映る風景は常に自分の目を楽しませるものであるべきという箱庭オヤジ的発想なんだとようやく気づいた冬到来前夜。…それにしても、「きっと幸せにするよ」から「一緒になったからにはおとなしく言うことを聞け」に一転するというDV的パフォーマンスがこうも歓迎されるってのは、一体なんであるのか。わたしはだまされたをわたしも一度はやってみたい、くりかえしてはならないあやまちをわたしはまだ一度もやっていない、ということなのか。
 おじさんにたしなめられてます@BBC
 今日も一面ネルソン・マンデラ氏@AlJazeera。

 先週の夜更かし兼酒飲みが今ごろ口内炎になって出てきている。年くった証拠である。むー。
 ぐへへへ〜@tenki.jp。

 明日はやっとしゃべくりの日。
募集中だそうです。…いつの間にか取扱い停止になっている…7月中旬スタートで再開してます。
 あれから10年後までの予想
 今日のAQI
 今日のガイガーマップ
 今日・明日のエアロゾル九州大学
 地には平和を。
 科研費ロゴ@JSPS。