ひきつづき古い雑誌を読み中。ちょいと前、ネットニュースでも話題になっていた鹿児島県阿久根市のことが2009.3.30付「AERA」に載っている(ちょうど話題になっていた時期か)。「増税の前に」という連続記事のひとつ「地方公務員の高すぎる給与明細」という記事。たしかネットニュースでも、当時の市長が市職員268人(消防を除く全員)の給与を(氏名は伏せて)ウェブ上で公開したという話になっていた。記事でも、この地域では不釣り合いに市職員の給与水準が高いということがひとつのポイントになっている(以下、……部分は省略して引用を示す)。

鹿児島県統計協会がまとめた、阿久根市民の年間所得推計は約200万円。複数の市民に確認してみたところ、年収は200万〜300万円が標準のようだった。

これに対し、市職員の給与分布を分析してみると、……半数以上が年収700万円以上で、300万円未満は7%だけだ。

 で、時流に乗った方向に話を持っていくなら「民間がこれだけ苦労しているときに公務員はのーのーとして!」みたいなことになるのだが、「自治体のことは自治体政府が決める」がどれほど実質化しているかという点から記事を追っていくと、こんなことが書いてある。

……阿久根市は、高齢化が進み人口減少が止まらない、典型的な「過疎自治体」だ。年間収入総額約107億円(2007年度)の半分以上は、国や県からの交付金補助金が占めている。
 その状況で、市の人件費は約22億円。市税収入約20億円ではまかないきれず、結果的に国民の税金が地方公務員の給与補填に使われていることになる。

 阿久根市で給与算出の根拠となっているのは人事院が定める国家公務員の行政職俸給表。これに加えて鹿児島県人事委員会の勧告も参考にしているそうだ。で、その県人事委員会が勧告を出す際に実施した民間企業(123社対象)の給与水準調査の妥当性について当の人事委員会に記者氏が尋ねたくだり。

 委員会の調査は、県内の実情をきちんと反映しているのか。123社に阿久根市など県庁所在地から離れた地域の事業所が含まれているのか聞くと、
「事業所が特定されるため、地域分布はお答えできない」
 の一点張り。「調査に客観性があるのかわかりにくい。県民の理解を得られると思うか」と尋ねても担当者はそれには直接答えず、
「理解を得られるよう努める」と繰り返すだけだった。

 「私のことは私が決める」ということがいろいろな分野で可能になってきているのは、(あれこれあるとはいえ)個人の意思を尊重するモラルが戦後の日本に定着しつつあることの兆しと見ていいように思うが、その一方で、「私たちのことは私たちが決める」ということについては、その定着の実情に危ういものを感じる。ここにいう「私たちのこと」のなかには「私たちのための仕事を(委託)するスタッフにどの程度の待遇を用意するかということ」も含まれる。これが「私たちの給与水準は私たちが決める」という「当事者主義」の主題にすり替えられていたのではないかという疑問を持つことは、正当なことに違いない。で、この記事は以下のように締めくくられている。

 竹原市長が解散した阿久根市議会の議員選挙は、22日が投開票日だ。竹原市長が実行した給与公開について、市労組にコメントを求めると、
「選挙が終わるまで何も言うなと、『上』(=自治労)から言われている」
 と、断られた。

 どこにでも「お上」はいるものだ。…いっときは10年ちかく引き離されていた古雑誌読みも3年遅れ弱まで追いついてきた。リアルタイムをめざしてぶいぶい読むをつづけてきたが、少し古い記事を読んで、あぁそういえばと思わされることもけっこう多い。いっそ新聞や雑誌は1年遅れくらいのペースで読んでる方が精神衛生上いいかも知れないとも思う。しかし、いざそれを実行に移そうとすれば、あの新聞、この雑誌…を、1年分寝かせておくだけのスペースを用意しなければならない。「AERA」だけなら積んでおいてもA4サイズ×20センチたらずにすぎないが、他のも全部そうしようと思うと…やっぱり思わないことにする。
 しかしまあ、「市民」(国民と言い換えてもいいが)というのは大概いろんなことに目を配り、考えていないといけない。イヤになる人がいても不思議はないと言わないといけないのかも知れない。