スルッとKANSAI3dayチケットの季節。南海電車高野線・本線をメいっぱい乗り継いで和歌山市へ。和歌山県立博物館で開催中の「没後400年 木食応其展」へ。あれこれ興味深いものがあったのだが、えずけんの藤吉としては堺市博物館蔵という「高野山図屏風」(展示番号53)に目がいった。これは、絵図の右上に大門を、左上に奥の院を配し、右下に丹生都比売神社、下ほぼ中央に慈尊院(…多分…)を配したもの。ふつうに見慣れている高野山の古地図というと、大体が画面の左に大門を配し、そこから壇上伽藍、金剛峯寺興山寺・青巌寺)、そして右端に奥の院を描くというものを思い浮かべる。本学図書館所蔵の古地図もそうである(高精細画像は→こちら)。今ふうに言えば地図の上を北方向として描いているのだが、今回見ることのできたこの「高野山図屏風」は、だから、南を上方向として描いている。これ、なんか意味があるのかなー(と素朴な疑問で止まってしまい、それ以上追究しないところがイカンところである)。ともあれ! 見に行ってよかった。