なんだか学生の勉強ノートみたいだが、目がくらんでしまったんだからしょうがない。再度、池上良正『死者の救済史―供養と憑依の宗教学』(角川選書、2003年)233ページより。
■■ここから引用

 巫者的な宗教者が、いつの時代にも弾圧の風を受け、「狂気」というレッテルを貼られたり、批判や嘲笑の的となりやすかったことは周知の通りである。しかし、一方で制度的仏教の僧侶たちが葬祭を独占し、「安らかな死者」「懐かしい先祖」の再生産に従事しはじめたとき、そこにいたらない、あるいはそこからこぼれ落ちてしまう「浮かばれない死者」たちの思いに配慮し、彼らの道行きを介護する役割もまた、広く残されることになった。
 思えば<供養/調伏>システムとは、ある種の普遍主義化の試みではあったが、死者との個別取引の道を全否定するものではなかった。それどころか、正統を主張する仏僧たちが、人々に身近な死者の追善供養を勧め、盆や彼岸における先祖との親しい交流の意義を強調すればするほど、そこには同時に、巫者的宗教者たちの「憑依」を媒介とした個別取引のマーケットが、大きく開かれていったといえる。
 人々の願いは「浮かばれない死者」を「安らかな死者」に移行させることにあった。制度的仏教者と巫者的宗教者とは、この民衆の願いに応える役割を相互補完的に担いつつ、巧みな分業体制を築き上げてきたのだ。

■■ここまで引用
 なんでこういうのに目がくらんでしまったのかということは、いずれ時がたてばおいおいわかってくることもあるだろう。まあ、裾野あってこその頂、いうことで。…文中、「普遍主義化の試み」周辺の議論がおもしろい。詳しくはどうぞ本書にて。
 そういえば…今回、奄美大島での画像をアップロードする作業の最中、容量オーバーで不可のアラートをサーバ側から受けた。で、いくつかゴミ掃除をしてその場をしのいだのだが、いま使っているニフティのホームページ容量は100メガ。今あらためてアップロードしてるコンテンツの総容量を調べたら85メガ。早晩いっぱいになりそう。ちょっと、対策を考えねば。