この年明けに気づいた。山内、とりわけ観光シーズン中の山内にごった返す観光バスやら車やらへの不快感は、どうも明治村との対比で生じているものらしい。歩いて快適なこぢんまりしたエリアという視点から比較しているようだが、しかし明治村とちがって高野山には人々の「生活」があり、それに車は不可欠なようなのでこの点はいかんともしがたい。加えて、明治村がそこだけで独立したというか完結したエリアであるのに対し、高野山奥の院方面から南紀へと抜ける道が通じている。特に数年前に高野龍神スカイラインが無料化されてからは、高野山には「南紀へのショートカット」としての役割も付与されるようになった(昼間のうちに高野山詣でをすませ夜は龍神温泉で一泊というツアーも人気だそうな)。通過点に転落しつつある観光地というのでは困りものだ。