山上20℃、晴れ。室内は気温24℃、湿度47%。東向きの窓のドアノブは握るとまだあっちっちだが空気は快適。まだ蝉の声も聞こえるが構内の植え込みからは秋の虫の声も聞こえてくる。午後二連荘の会議まで相も変わらず机仕事がしがし。先週でなく今週に本学で勉強合宿をしている諸君はラッキーであろう。空には秋らしい雲。

 これまたへんてこな天気図@tenki.jp。

 すずしい朝にもジェッディン・デデン。
 よくある話題ながら広重とゴッホ@franceinfo(去年の記事ですが)。
 ちょいと息抜きに読んでいた飯山雅史『アメリカの宗教右派』が思いのほかおもしろかった。アメリカのみなさんもいろいろ揺れているのだなあということが感じられた。自分の気にくわないところを、固定化して敵視するのはあんまり得策ではないということを教えられる。で、一部、まえにちょっと書き込んだ例の Censored の記述と重なるところがあり、少々長いが引き写し。

 連邦最高裁は、アメリカ政治と社会の中で特殊な位置を占めている。法律を厳格に適用し、解釈するのが仕事であるだけでなく、その時々の社会の流れに沿って、積極的にアメリカの社会規範を生み出していくことがある。ある意味で、アメリカの“市民宗教”の教義を定める“バチカン公会議”というような側面もなくはない。党派色も強い。判事はもちろん法律と自己の良心のみに従って判断するのだろうが、良心の命ずるところは、本人がリベラルか保守かによって変わってくる。
 特に、1953年から69年まで連邦最高裁長官を務めたアール・ウォーレンに率いられた、いわゆる「ウォーレン・コート(法廷)」の時代に、積極主義は顕著だった。彼は元カリフォルニア州知事で穏健な共和党支持者だったのだが、長官に就任すると最も著名なリベラル派となった。これまでに述べた黒人差別や公教育での“祈り”、強制的な聖書講読を違憲とする判決は、すべて彼が長官の時代に出されたものだ。人工妊娠中絶の合法化は、ウォーレン退任後の判決だが、まだ最高裁はリベラル派が牛耳っていた。
 だから、宗教右派は、連邦最高裁からリベラル判事を追放することを目標にすえた。
 どうしたらいいのか?(飯山雅史『アメリカの宗教右派中公新書ラクレ、2008、pp. 100-101)

 劣悪な労働環境に抗議する韓国の労働者。We are not disposable items@AlJazeera。
 ずるずると仕事を増やして、ふと気がついて負担が重いと囀るのは、もしかしたら土地柄なのかもしれないという疑いが湧いてくるすずしい夕方。
 近寄ってくる漁船には万全の警戒網を敷く一方でダダ漏れ水は断固として放置という態度は、やはりどこかに被害者意識が作動しているからに違いないと思える。かわいそうな日本。
募集中だそうです。…いつの間にか取扱い停止になっている…7月中旬スタートで再開してます。
 今日のAQI
 今日・明日のエアロゾル九州大学
 地には平和を。
 科研費ロゴ@JSPS。