山上5℃、穏やかな明るいうすぐもり。今日はエイプリルフールにて出勤(うそうそ…えっ?)
 その場その場で一生懸命というのはよさげに見えて実はあんまりいただけない。その場の一生懸命がどのくらい長続きするかあやしいものだし、この場とあの場で一生懸命の内容が相反するなんてこともしばしばだからだ。ちんたらでも一貫しているのが大事。
…なんでござるか、このきもいのは(倒置法/音が出ます。YouTube)。 
なことを考えていたら、読み中の古雑誌ででくわした。有斐閣の雑誌『書斎の窓』2010(not 2011)年6月号。橘川武郎「[連載]応用経営史の可能性 第5回 電力業の自己変革」(pp. 30-33)。冒頭の節(「電力業の自律性」)の最初の2段落だけ無断引用してこれから読む(文中、漢数字は原則としてアラビア数字に変更)。

 1883年に東京電燈が設立されてから今日にいたるまで、日本の電力事業は、127年にわたる歩みを重ねてきた。その全歴史のなかで、電力業が国家管理下にあったのは、1939年4月から1951年4月までのわずか12年1ヵ月間だけである。裏返して言えば、日本の電力業は、大半の期間を、基本的には民有民営の企業体制によって営まれてきたと言うことができる。
 公益事業である電力業が私企業によって営まれる状況下では、「電力業の自律性」が問題になる。電力業経営の自律性とは、「私企業性と公益性を両立させる電力業経営」のことである。別の言い方をすれば、民有民営の電力会社が企業努力によって合理化を達成し、「低廉で安定的な電力供給」を実現することが、自立的な電力業経営の内容である。

…どうつづくかな。

…現実には、21世紀前半にゼロエミッション電源として主役を占めるのは、再生可能エネルギーではなく、あくまで原子力である。これは、原子力発電が好きか嫌いかにかかわりなく、技術水準や経済性からみて、他に選択肢のない必然的な答えである。(p. 32)

 技術については棚に上げるとしても、ここにいう「経済性」が「廃棄物先送りによる未来泥棒」である疑いは強いんじゃないかな(疑うだけ)。
 またも溜め新聞ばしばし。藤吉的には収監されたばかり(2年前の「週刊プレイボーイ」上で)の堀江貴文さんが仮釈放会見。ネット新聞ではタイトルが「ライブドア事件:堀江元社長、体重30キロ減 仮釈放に「万感」」、紙新聞ではタイトルが「堀江貴文元社長「迷惑をかけた」仮釈放会見」となっている。書き手は同じ山田奈緒記者で同じ本文なんだが。まあ、よくあることか。
募集中だそうです。
 今日のAQI
 今日・明日のエアロゾル九州大学
 地には平和を。