うわー、こりゃなつかしい
…すくなくともそれは「その集団のなかで一番強いのにひっついて自分の地位を安定させる」という処世術には一顧だにされることのない関心であるに違いない。これまたつづき。 
 日本のみなさん(の多数派)は関心を失いつつあるのかも知れないが、海外にはそうでないみなさんも。

 きのうのつづき。「外交文書公開」という見出しで結構大きい記事(毎日20130308)。毎日新聞社のサイトで検索してみたが(もう?)ヒットしなかった。紙面(6ページの国際面)の下段3分の1ほどを使っている。リード、小見出し(太字にする)、各項の第一段落だけ無断転載。…なぜかこの記事には記者の署名がない。狙われるからかな。あれからかれこれ25年。

 【リード】外務省は7日、一般公開手続きを終えた外交文書72冊を公表した。内訳は1971年の昭和天皇初外遊に関する16冊と、第二次大戦の戦後処理を中心とした56冊。戦後混乱期の生々しい動きの一端が浮かんだ。
 皇室に好奇の目 天皇への直撃取材、御用邸押し掛け見物、京都御所の軍用化案……。7日公開の外交文書から、占領軍側が皇室に好奇の視線を注ぐ姿が浮かんだ。粗暴な行為につながるケースも目立ち、日本側は戸惑い、振り回された。【以下略】
 外務省が文書焼却 外務省が45年8月の終戦前に機密度の高い文書約8000冊を焼却処分していたことが分かった。中央省庁や市町村が終戦前後に連合国の追及を逃れるため書類を処分したことは知られているが、公文書で具体例が明らかになるのは珍しい。【以下略】
 暗号の技術「幼稚」 第二次大戦で米国側に暗号を解読されるなど情報戦で後れをとった反省から、当時の外務省幹部が終戦直後、暗号技術の向上や専門家養成などの改善策を訴えていたことが分かった。【以下略】
 天気予報で開戦情報 外務省が日米開戦となる41年12月8日のハワイ真珠湾攻撃に合わせ、在外公館などに向け、天気予報の形を借りて開戦不可避との見通しを伝えるよう海外向け短波放送「ラジオトウキョウ」に指示していたと、戦後、GHQに報告していたことが分かった。【以下略】
 記録保全 連合軍が命令 7日公開の外交文書では、日本側が戦犯訴追を恐れて捕虜処遇の関連資料を破棄することのないようGHQが「最高司令部の絶対不動の意思」として記録保全を命じたことが記されている。【以下略】
 「捕虜虐待の意図ない」 第二次大戦中の日本軍による代表的な捕虜虐待行為とされるフィリピンでの「バターン死の行進」や、映画「戦場にかける橋」の背景となったタイ・ミャンマー間の泰緬(たいめん)鉄道建設をめぐり、日本側が終戦後、陸軍次官をトップとする「俘虜(ふりょ)関係調査中央委員会」を設置し、「意図的な虐待は絶対にない」と連合国側に説明していたことが7日公開の外交文書で裏付けられた。【以下略】

 年限(たしか30年)がきたら自動的に外交文書を公開するという大胆な方針を出したのは外務大臣をなさっていたころの岡田克也さん(あったあった)だったが、あれこれの後退はありつつ外務省においてこういう作業が続いており、かつ、それを記事にする記者(と新聞社)があるというのは(たとえ「所詮は沈むのを遅らすだけのこと」という揶揄はありうるとしても)いいことなんじゃないかな。…結局まともに読んだ記事は2週間分でこれ(あと昨日引いたのと国の防衛機密に関する記事(20130316)、東北の取材記事コラム)くらいであった。読まずにすませられるという点では時間の節約になるが、いいんだか悪いんだか。
 しーばーしーもーやーすーまーずーはーりーさーすーひーびーきー。…ちくちくちくちく。ひいいぃぃぃ!…休み休みやっております。
 そういうと、こんなんあるそうです。
 今日のAQI
 今日・明日のエアロゾル九州大学
 地には平和を。