おつかいのため早起きして街へ。途中、河内長野駅で下車して書道部の書道展へ。おー、この人はこういう字を書くか−、と、作品そのものを鑑賞するのとはひと味ちがう楽しみあるのがよいところ。就職の決まった4回生も含め部員諸君が手分けして来客のお接待をしているのもまたよし。日曜までやってます。どうぞお運びを。…で、お昼までにお使いをすませて午後は飽きもせずがしがし!
 つまらない(と藤吉には思われる)ニュースがテレビで流れると「今日はナニを隠してるのかな、ポポポ・ポ〜ン」という脊髄反射が起こるのは、そうとう病が進んでいる証と思われる。
 お手紙は無事お星さまに届きました。お告げが戻ってくるのは梅雨のころの見込み。…しばし忘却の介。
 がしがしの合間にまたもためてしまった新聞をばりばり(めくる音)。一番古いのは1/29。「美代子の考えでみんな動いた」…今は昔。1/30には安岡章太郎@「サーカスの馬」さんの訃報。コメントを寄せている数名の方の中に秋山駿先生も。まとめ読みしたのはこれまたはるか昔。
 電力は商品か公共サービスかどちらであるか。電力会社が民間企業である(ということになっている)以上、商品である。が、電力の安定した供給は国家的な要請でもありうる。市場原理にゆだねれば電力に関するユニバーサル・サービスは早々に破綻するだろう。だから(たぶん)電力事業に関してはさまざまなことが法によって定められているのだと考え得る(調べないけど)。競争原理の働く市場の中で「商品」を売る民間企業であるか、政府統制のもとで「サービス」を提供する公共事業であるか、それが現行の法律でどう定められ、バランスされているか。それを把握したうえで、巷間いわれる地域独占による弊害(腐敗といってよい)を是正するにはどのように法を改めなければならないのか。この点がはっきりさせられなければならない。たとえばそのなかで、送電線を(道路や電話回線や商用電波帯域と同種の)公共財と見なす見方(発送電分離のひとつの根拠)はどのていどの妥当性を持つのか。単位電力あたりの単価が(ちょいと前に報道されたとおりなら)企業向けと家庭向けとで相当な差をもって設定されているということがどのような整合性を持つのか。5年ちょい前に「聖域なき構造改革」が謳われたとき、電力事業の持つこうした問題について何か議論されたのか。…誰か、調べて簡単に教えてくれないかな。言うてる間に着々と進む官営事業の払い下げ。税金で営利企業をつくり、それが軌道に乗ったら関係者が列をつくって順番にもらっていくというのが、薩長政府以来つづく近代日本の王道ビジネスモデルであると見てよろしいか。
 先のことが気になって今のことが手につかない、今のことに手一杯で先のことまで気がまわらない…どっちも難儀ですなあ。
 あれ以来姿勢を修正して排尿が大変になめらか、加えてキレまでよくなってきたような気がする(あ、言わんでいい?)。…まったくもって何だったかなー、この50年弱は。
 チェルノブイリでもイカンらしい。
 たしかに、経済は不調であるより好調である方がいいんだろうが、「市場が好感」というのはそんなに重要なことなのかと疑問に思うタダの経済素人にすぎないわたくしは博打打ちの顔色を伺うことがそんなに大事なことなのかしら、誰がどういう事情でそういうのを気にしてるのかしらと思うコトしきりである。…博打打ち差別かな、こういう発想は。
 本学サイトにも案内をアップしました。どうぞご来場を(おもに近在向けアナウンス)。
 こちらにもどうぞお運びを。
こういう発言は国民の理解を得られるだろうか。 
 藤吉とほぼ同時期(80〜90年代)に学生をしていた方のお話では「授業を受けてた先生によると、昔は非常勤を2、3個やれば食べていけたらしいですよ」なんだそうだ。また、アメリカのご学友によると、そこそこの大学で集中講義をひとつふたつやると結構なお金になったそうだ。こういうところに出るですなあ、人権意識が。大学の非常勤講師に「定職に就くまでの食いつなぎ」あるいは「非研究者の箔つけ」職以上の意味を持たせられなかった大学の専任教員には、連合オヤジにいう言葉は存在しないというべし。…まあ、なんとでも言えますわね、あとから来た者は。
 あははははははは!…ちゃんと競争入札してこれなのか。

 追加の告知
 問題その2:悪ノリ編の優秀作は、本欄にてご紹介します(だいたい2段落ずつの連載で)。筆者名は掲載しません。
締切 3月15日(金)=卒業式の日。大学あて郵送でもよい(当日必着)。
発表 4月8日(月)から2週間、藤吉部屋ドアの内側に掲示。…以上ほぼ在学生向けアナウンス。