少し早起きしてメールチェックなど。キャンベラもそうだったが、ここのホテルもネットは有料。こういう時に日本のホテルの優秀さを感じる。フロントでPINナンバーなる15桁の数字をもらい、部屋でブラウザを立ち上げるとログイン画面が表示され、その数字を入れると下のような画面が出る。アクセス権の購入は時間・日単位のところが多いようだが、ここではデータ量単位。1day を選ぶと250メガバイト分のデータダウンロードができる。大きなファイルをダウンロードしたりしなければ、これで週末までもちそう。…いや、9日の14時で終わりと書いてあるし、日数とデータ量と両方で縛られている模様。これは気づかんやった。あとでまた買い直し。むー。

 ご学友の到着を待ち、お昼過ぎから行動開始。少し足を伸ばして Shrine of Remembrance の見学。いろいろ考えさせられる。

 建物を入ってすぐのエリアにはオーストラリア、ニュージーランド各軍の巨大な軍旗が下げられ、その下に戦死者名簿(氏名だけがひたすら並べられている)がガラスつきの箱に入れられている。地下のエリアには背中合わせに兵士ふたりの像。その四方を各時代いろいろな戦闘に参加した部隊の旗が囲んでいる。

 さらに下へ降り別室に向かう廊下には兵役に就いた証明らしき勲章が大量に並べられている(同じものもある)。

 War Memorial が靖国神社なら、ここは護国神社だろうかなどと話しながら展示(とキャプション)とにらめっこ。朝鮮戦争関係では大英帝国から授与されたもの(16000人)と国連からのもの(18000人)がある。

 キャンベラの戦争記念館ではココダの戦いをテーマとした講演会があり何人かのキュレイター氏やリサーチャー氏と話すことがかなわなかったが、こちらでもそれにまつわる展示がされている。70周年記念ということかも。

 現地の人と思われる高齢者もたくさん展示を見に来ている。この人たちのおじいさんやお父さんの世代の若者たちがこの戦闘に参加していたのかも知れないと思うと…なかなか。それなりに重い気分になりながら階段を上へ。バルコニーに出ると広々した平野を見渡せる。平和でよかった、ひとまずこれまでの日本は。…日本の反戦なみなさんにはあれかな、要するに「血塗られた日の丸」を引き受けるだけの心の準備があまりない、ということなのかも知れない。国旗を変えたら過去もチャラにできるなんていうマジックな発想が実は残っているのかも。

 戦争記念館と比べれば小ぶりの施設だが、随分と歩いたような気がする。遅い昼食をとるべくヤラ川沿いのモールに向かう。途中で見つけた別の石碑。近づいてみると文字盤に AUSTRALIAN HELLENIC MEMORIAL。…分祀を望む人々もいるということかも。…今日は「かも」が多い。これをしばらく転がして何か出てくればめっけもの。

 遅い昼食をゆっくりとすませ、ちょいと時間ぎりぎりになってしまったが、前にものぞいた IMMIGRATION MUSEUMへ。移民によってつくられた国だから移民を受け入れつづけることをみずからのアイデンティティ(の一部)にしたいということかも。


 少し展示が変わっていておもしろいところがあった。小さな部屋で椅子に座ると目の前にこちらと対面しているようなかたちで色んな民族の人々の映像(動画)が映し出される(だいたいバストショット)。椅子の後ろから声がしてそれに合わせて目の前の映像の人が受け答えをする。要するに移民申請を許可するためのインタビューなのだが、インタビューをする側の立場で申請者の訴えを聞くような位置に入場者が置かれる。なかには問いかけに対して全然反応せず、こちらに視線を向けようとしない人もおり、それに関連して机上の画面には言語(英語)能力が極めて低いといった調書が表示される。これまたむー、な気分。
 見まわっていると妙齢の女性に日本語で話しかけられる。ご学友も含め4人で少し立ち話。なんでも帝都の藝大の院生さんで、修論を書くために1か月、メルボルンでの滞在調査を開始されたところだとのこと。これはこれは。展示に対してアートが果たす役割のような方向を抗争中…もとい…構想中とのこと。ご健闘を祈りたい。
 
 
 台風なう   オセアニアの天気なう