で、無事キャンベラ到着。香港からシドニー経由のキャンベラは大変スムーズな乗り継ぎだったが、シンガポールからメルボルン経由でキャンベラ入りしたご学友は、キャンベラに動く前の入国審査で持ち物を全部バッグから出させられ、旅程も根掘り葉掘りだったそうだ。少しだけ先に到着して空港周辺をうろうろ。ちょっとひんやりどころかみぞれまじりの風びゅーびゅーでめちゃさぶ。エントランスにおっきなオブジェ。サンリオSF文庫『ヴァリス』の表紙を思い出してしまった(創元も同じ表紙だった)。

 合流したご学友とまずは宿に向かい、在キャンベラの共同研究者とお久しぶりの再開。その足ですぐ近くにある戦争記念館に向かう。もともとは第一次大戦で大量に出した戦死者を悼むための施設として始まったようだが、その後も兵役で亡くなった人の名を刻んでいる。しかも最近になって名前の刻み方に変化があったそうだ。以前は戦争が終結した後にまとめて犠牲者の名を刻んでいたそうだが、今は現在進行中のもので命を落とした人の名も随時増やしているとのこと。だから、「AFGHANISTAN 2001- 」であり、「IRAQ 2003- 」であり、終結年が記されていない。今の記念館の機能は大きく次のみっつ。ここに挙げたcommemoration、これから見に行くexhibition、そして戦争時につくられた大量の記録類を保管し利用者に提供するためのarchives。戦争時の記録には軍や政府による公式記録だけでなく、遺族(戦死した場合)や本人(生きて除隊した場合)の個人的な手帳なども含まれ、これらもほぼ一般に公開されている(カウンターで請求すれば出してもらってみることができる)。たとえば最近話題の日本の施設にもそのような個人記録が保管されているが、基本的には神さまの記念品であり、遺族以外の閲覧は考えられていないそうだ。このへんもまた興味ぶかい。今回はオーバービュー的な話を伺うにとどまったが、掘ってみる価値あり。

 館内で第二次大戦を対象とした展示の一部。当時の新聞記事のコピー。この記事の左側には日本への原爆投下を報じる新聞記事のコピーが掲げられている。

 展示は盛りだくさん。さすがに駆け足の半日では十分には見切れないがやむなし。で、閉館時間まで粘ってしまったので毎日行われているというクロージング・セレモニーも見学することができた。オーストラリアのかかわった戦争にちなんだ音楽などを演奏するものだそうだ。今日は10分ほどバグパイプの演奏であった。

 あからさまに何かの宗教を押し出しているわけではないが、宗教色を強く感じさせる建物。戦争の話題自体をタブーにしなければならない国とはけっこう扱いが異なる。…いろいろ議論が微妙らしいですが。

 宿に戻ってみっちり復習したらしっかり晩ご飯してとっとと寝る!
 台風なう   オセアニアの天気なう