まずいところを改め、それまでなされてこなかった試みに手をつけてみるという態度は決して悪いものじゃない。が、それがガス抜きお祭り騒ぎのパワーにあおられながらでないと進められないものだとすると、やっぱり底意が疑わしい。と、こういうのを読んでると感じてしまう(あおられてるのは自作自演かという疑いも生じる)。どうすべきかまで口出ししなくていいから、報道企業にはこういうのも含めてどうなってるかを丹念に取材・報道してもらいたい。「市長は法を踏みにじっている。許せない」なんて書かなくていいから、「市長はこの部分で法を尊重していない」くらい書いたらいいのに。…入れ墨野郎の人権など尊重せずともよいなんて報道コードがあったりするのか。
ことほど左様に新聞の一面を見たらそこに何が書かれているかではなく何が書かれていないかを、テレビニュースのヘッドラインを見たらそこで何が触れられているかではなく何が触れられていないかを、…知ることはまあできないが考えてみることくらいは大事であるということに、こういうのを読むと改めて気づかされる。