電車で街へ。なんば駅のひとつ手前(急行の場合)の新今宮駅で元学生さんと待ち合わせ、かねてより一度行ってみようと懸案であった新世界の街歩きへ。と言いつつ、通天閣にものぼらず、二度づけ禁止の串カツ屋にも入らず(かぶりものの串カツ君が歩いとった)、エッチな映画館やヌード劇場を横目に見つつ、めざすは通天閣の足許にある劇場、浪速クラブ(オフィシャルサイトはショボいっす)。藤吉はほぼ25年ぶり(「電柱ファン」に載った「歌と踊りのグランドショー」(みどり虫)=覚えてる人いるかな=で知ってからしばらく通っていた)。外装がこぎれいになり、トイレもにおわなくなっており、劇場スタッフのみなさんも若返りを果たしており、歳月を感じさせる。売店で買った巻き寿司&お稲荷さんをほおばりつつ12時すぎから3時半すぎまで延々3時間を飽きさせないのはあいかわらず。要所要所で(ないところでも)ステージにおばちゃんたちが駆け寄り役者さんにご祝儀の大盤振る舞い(韓流に流れないみなさんにはこちらを楽しんでらっしゃる向きもあると見た)。
舞台のひとコマ。客席とのかけあいも楽しませてくれる。サクラなんかじゃないはずだがまるでサクラのようにやりとりの達者なお客衆が最前列に陣どっている。…この場面ではないが、下のくちびるで指先をちょんとなめる菊太郎さんの仕種はなかなかそそります。
今日も大入り満員とて用意された補助席にはお馴染みさんからの贈呈らしいかわいらしい座布団。
終演後、入口付近にて客にねぎらわれてるんだか客をねぎらってるんだか混沌とした雰囲気でご挨拶に並ぶ役者衆。あっという間だったがいい3時間だった。
それじゃこれから百番で晩ご飯でもとなればよかったのだが、ひとまず今日はここでお開き。今度は彼女も連れといでと再会を期す。
なんでも今日が興行の中日だったそうで、入場のさい受付で記念品を頂戴した。ラッキー。カメラ入れにしようかな。
ディプロマポリシー:「高野山大学を卒業して、そんなことも知らない/できない/わからないのか」の線をどのあたりに引くかについて大学の示す公式見解。
アドミッションポリシー:「高野山大学に入学して、そんなことも知らない/できない/わからないのか」の線をどのあたりに引くかについて大学の示す公式見解。
あえてカタカナ語で言うまでもないことをカタカナ語にして振りまわさないといけないということは、それだけそういうことがないがしろにされてきたということである。
…で、巷間よく言われるのは大学を出てもロクに何も知らないということで、次によく言われるのが大学生が(標準的な)中学生レベルのこともできない(場合が散見される)ということで、どちらもまあ一般論として間違いとは言い切れず、岡目にはそれを吹いていればいいと思うのだが、その現場にいる当事者としてはそれを言うだけですますわけにはいかない。
まず後者は入学試験の科目として開示されているのであり、本学の場合それは国語(現代文)と小論文(というより小作文)であるということが確認されなければならない。これから推して「高野山大学に入学して徒然草も読めないのか(ここはダブルミーニング)」とか「高野山大学に入学して平安時代(という言葉)も知らないのか」とかと問うのは御法度である(たぶん)。大学が自身の掲げるアドミッションポリシーをどれほど大事にしているかは、そういうわけで、1回生向けの授業がどの程度の知識なりなんなりを前提として設計されているかを見ることで了解できる。入る時点でそんな力は要求してないのにそれを前提に話しちゃあイカンでしょう、ということだ。…リキんで書くようなことじゃあないなあ、と、書いてから思う。