教育の質保証というのは、まあ若干ウサンクサイ言葉ではあるけれども、それでも例えば「高野山大学を出てそんなことも知らない(できない、わからない)のか」というライン(「保証書」としての卒業証書を渡すか渡さないかを判断するライン)をどのあたりに引くかというのは、それはそれでちゃんと考えておかないといけないことではある。で、そっちの出口だけを考えていればいかようにも理想を追っていけそうな気になるけれども、通常4年間の教育課程を経てクリアできるラインというのは、それを始めるスタートラインがどのあたりにあるかによって大きく左右されることが忘れられてはならない。まず新入生向けの授業は「本学の入試をクリアして入ってきた学生なら、このくらいのことは伝わるだろう」というラインをベースに設計されねばならない。「ねばならない」というか、そうでなければ実際のところ機能しないだろう。そこをスタートラインとする人びとが、4年間それなりにやってクリアできるラインはどのあたりにあるのか。それを考えるのがカリキュラムを構想する場合の腕の見せどころだろう。身の丈に合った「高い理想」を掲げるべし。