7時に食堂に集合し同行3名で朝ご飯。そのあとタクシーで会場へ。宿が変更になり会場からかなり遠くなってしまったため徒歩を断念したが、しかし、予約通りのホテルでも毎回歩けたかというと疑問。直線距離が10分ほどでも、その間に道をふたつ渡るとなると時間が倍になる。デリーの主要な道路の交差点は十字路ではなくいわゆるロータリー式。そういえばリンボウ先生がどれかの本(『イギリスはおいしい』じゃないやつ)で書いておられたと思うが、たしかに車にはいいのかもしれないがトラフィックの切れることがないので歩行者は命がけ。もうほとんど死んでもいい@石井隆のような気分で1回渡るとそれだけで半日分の体力を消耗する。で、タクシーで到着した会場正面の入口に掲げられた横断幕。南国な感じです。

 今日の午前中は参加登録だけなので登録がすんだらセッション会場となる部屋の下見をするがプログラム掲載の地図に翻弄される。わかりやすい地図をつく(れ)ること(能力)は重要な社会的インフラであることに気づく。で、帰りは試しにと地下鉄を利用。命をすり減らして数回道路を渡り、正味20分ほど(百万遍から高野くらい)歩いて最寄り駅へ。ここの地下鉄は切符ではなくプラスチック製の丸いトークンというのを買う。入るとき改札の機械にかざし、出るときは改札のスロットに返却する。中にICチップが埋め込まれているようだ。

 で、昼から改めて会場に。オープニングセッションとそのつづき。多少わかって嬉しいが、インド人のみなさんの英語はさすがに耳がついていかない(場合が多い)。
 セレモニーの後はレセプションで軽食しながら手近な人とおしゃべり。フィンランドからおいでの日本語めちゃ堪能なおねーさんとしばしみんなで(イカさん元気かな)。日本にも何度もおいでの模様。メディア学専攻で博士論文はドラマ「渡る世間は鬼ばかり」(PDFが公開されている。→こちら)。いろんなことやってる人がいるねー。別宿のメンツに引率されて旧市街に。喧噪と猥雑とはこのことをいうのであるか。インドの人は彫りの深い顔でなかなかステキなどと思ったりもしたら、ステキと思っていたのは単にこういうところで暮らしていたら顔が険しくなるだけなんじゃないかという疑念がふつふつ。それが丸わかりのような険しい顔をして人混みをぐいぐい(やっぱりてくてくが好き)。たどりついたのがレッド・フォートと呼ばれる広大な城塞(このへんウィキペディアで後知恵)。夕日に映えたらさぞキレイだろうとは思ったが、ほこりっぽい空気ではそれもちょいとかなわず。自分だけだったらきっと来てないなー。引率してくれたご学友によると『悲しき熱帯』でレヴィ-ストロースがデリーの雑踏のことを書いているそうだ。読んだはずなんだが全然記憶に残っていない。帰国後に読み直してみよう(と今は思っておく)。

 お城からの帰途ふたたび雑踏をぐいぐい(剣呑な表情で)。日が落ちて暗くなってしまったため徒歩から地下鉄に切りかえ、コノート・プレイスという繁華街へ移動し晩ご飯。セーブしつつおいしくいただく。食後さらに地下鉄で宿に帰還。その足でカリフォルニアからの報告者を訪問。北米大陸を横断し、ヨーロッパまわりで26時間かけてきてくれたそうだ。それにしても、聞けば聞くほどアメリカのアーカイバルサイエンスは(UCLAが特に、なのかもしれないが)解放社会学会みたいなことをやっている。ホテル変更のおかげで宿が隣り合わせになったので翌日よりの動きが便利になった。…よく歩き、よくしゃべり、よく食べて今日もとっとと寝る。
アジア南方の天気なう