長々と電車を乗り継いで今日は近畿部会の例会で兵庫の門戸厄神(東光寺)へ。阪神淡路大震災で被災した地域資料を受け入れて先年開館した松風館(資料館)の見学と設立までのお話を伺う。
 阪急門戸厄神駅からあちこちにある表示を頼りに向かうと門らしきものが。

 到着してリーフレットをいただいて気づいたのだが高野山真言宗のお寺であった(予習しとけよっ!)。松風館見学の合間に本体の東光寺さんにもお参り。金剛峯寺の紋は桐と三つ巴だが、こちらでは桐と菊。リーフレットには次のような説明が(以下抜粋)。

……厄神様のご本体は「日本三躰厄神明王」(両頭愛染明王)と呼ばれ、一体は紀州高野山の麓「天野明神」へ国家安泰として、次の一体は山城州男山の「石清水八幡宮」へ皇家安泰のため、残る一体は一般庶民守護の為にと摂津州門戸の当山東光寺へお祀りされていますが、現存するのは当山のみとなっております。
「日本三躰厄神明王」は、天長6年(829)嵯峨天皇が41 才の御厄年の時、愛染明王不動明王が一体化し、諸々の災厄を打ち払い魔障を打ち平らげる霊威を夢幻に感得したのを弘法大師がお聞きになり、大師自ら白檀木に愛染明王不動明王が一体となった明王像を刻まれました。……

 高野の南方に荒神さんがあるのは知っていたが、天野に厄神さんとは…。
 山門に刻まれた桐と菊。なんだか桐がなまめかしい。

 こういうのを絵馬といっていいのかどうか。境内に並べられた扇には願い事と人の名前が書きこまれている。

 松風館と境内見学のあと徒歩にて講義会場へ。道々、いろいろな石碑の由緒などご説明いただく。講義会場では震災時からの資料レスキューやその後の資料整理のご苦労、今後の人手の手当てのご苦労などについてお話を伺う。ハコモノは作ったらそれまでだが、そこで来館者を支えるスタッフの確保はやはりどこでも大きな問題のように見受けられた。
 土地への愛着を持つ人たちの力がこの館として結実したということかも知れない。愛着を持てる土地に暮らせるというのは、それなりに幸福なことに違いない。
 で、帰宅してテレビを見たら地震でえらいことになっている。東京タワーの先っぽが曲がった? 悟とまりんの仕業かっ! …今回は角川さんでも止められなかったのか、彼が頑張ったからこれですんでるのか…、まあ、判断はつかないな。