子どもを育てるということは子どもを自分(たち)の生きている社会に(そこそこ)適合的に育てるということを否応なく含むが、社会に適合的であることとその社会の制度に適合的であることとの間には、まあ当然のことながらズレがある。こういう文章を読むと、どこの国でもそのへんで悶着は絶えないのだなあと感じる。アメリカなんかは「国語」を話さない人びとにも国籍を付与しているというが、それでもゆるがない社会を維持するには相当な力業が必要だろうと推察せざるを得ない。…人のふり見て我がふりを顧みる。