…この奴隷の身であるわたしが、どうしてこんなバスに乗ることができるのだろうか。ほかのだれかれと同じ資格で、12スー出して、バスを利用することができるのはどういうわけだ。これこそ、尋常でない恩恵ではなかろうか。もし、こういう便利な交通機関はお前のような者の使うものではない、おまえなんかは、歩いて行けばいいのだと言われて、荒々しくバスからつきおろされたとしても、その方がわたしにはまったくあたりまえのように思えるだろうという気がする。隷属状態にいたために、わたしは自分にも権利があるのだという感覚を、すっかり失ってしまっていた。人々から何も手荒な扱いをうけず、なにも辛抱しなくてよい瞬間があると、それがわたしにはまるで恩恵のように思える。そういう瞬間は、天から下ってくる微笑のようなもの、まったく意想外な贈りものなのだ。こういう精神状態をこれからもずっと持ちつづけて行きたいものだ。これは理屈にかなった状態でもあるのだから。

シモーヌ・ヴェイユ=田辺保訳=『工場日記』講談社学術文庫より)