山上22℃、涼しい曇り。これくらいだと山にいるありがたみもあるか。これで街が混雑してなければいうことなし、なんだが、そういうバチあたりなことを言っちゃあいけねえでやんす。
 盆休みの間に安丸良夫『神々の明治維新』岩波新書を読む。ちょっと前に復刊されて買ったものだが、いま書店のサイトで検索をかけてみたらもう絶版になっている。早い早い。印象に残ったところを抜き書き。
 その1●16世紀の半ば、三河一向宗を掃討する徳川家康のエピソード。

…前略…一揆討伐に手を焼いた家康は、一揆参加者の赦免、「寺内(じない)」をたてることを以前と同様にゆるす、一揆の首謀者を処罰しないという三条件を認めた起請文(きしょうもん)を書き、一揆と和睦した。しかし、戦いが終ると、家康はたちまち起請文を反故(ほご)にし、首謀者を追及するとともに、家臣たちに一向宗の棄宗を命じた。そして、起請文には前々のごとくにするとあるではないかと抗議されると、「前々ハ野原ナレバ、前々ノゴトク野原ニセヨ」と命じて、寺院を破壊してしまった。こうして、「寺内」をよりどころとした一向宗徒としての結合は解体させられ、多くの家臣や坊主たちは三河を去った。…以下略…

 その2●明治初頭、琵琶湖の竹生島(ちくぶしま)に祀られている弁財天を廃し、延喜式に記載のある都久夫須麻(つくぶすま)神社とすることを強要する大津県庁(当時。今の滋賀県だろう)に対して僧侶が抗議したところ、県の担当官のいわく、

…前略…今般、竹生島弁財天を、都久夫須麻神社として崇敬なされたき思し召しにて、お達しになりたるものなり。それをかれこれと申せば朝敵同様なり。…中略…たとい白きものを黒きと仰せいだされ候えども、朝廷よりの仰せを背くことはできず。その方(ほう)ら(=おまえたち)、さほどまでに仏法を信ずるなれば、元来仏法は天竺より来たりし法なれば、天竺国へ帰化すべし。…以下略…(この段、表記を現代風に変えています)

 そうか、「そもそも」って言葉はこのようにして使うのであるか、と感じ入った次第でござる。
 この『神々の明治維新』初版が出たのは1979(昭和54)年。これと同じ黄版でいうと1981年に出た色川大吉『自由民権』を、高校生の頃の藤吉は熱心に呼んだ覚えがある。高1の時の現代国語の教科書(たしか筑摩だった)に色川さんも発掘者のおひとりとして参加された「五日市憲法」の、その発掘の話が載っていて、これは面白いなあと思っていたら件の新書に出くわした次第。…とはいえその後まもなく長谷川昇博徒と自由民権』中公新書 を読むことになり、民権派なめるべからず、といった気分になる。
 神仏分離についてはほとんど知識がなかったが、この『神々の明治維新』は勉強になりました。
 それはそれとして遅ればせながら、「自民党をブッ壊す!」とはこういうことも含んでのことだったかと感心しきり。…こういうので感心してるようじゃイカンのかもしれないですが。