卒業生よりお便りをもらう。大阪でかなりハードな仕事に就いていて結局体をこわして退職し、今は静養中とのこと。仕事中はさんざん「代わりはいくらでもいるんやで」と言われたそうだ。だからなんだというのだ。仕事ってのは大半はそういうものだろう。藤吉の今やってることだってその領域に入る。専門性だって相当部分は代替のきくものだ。程度問題と言ってよい。個人としてかけがえがないということと、その仕事がその人でなければならないということとは別の問題だ。だからといって、「代わりはいくらでもいるんだから、続けたかったらこの待遇に甘んじろ」という使い方があっていいわけではない。テレビや新聞でノーブレス・オブリージェなんてことを口走っている輩がいるが、まず反射的に「おまえらがノーブルでなんかあるもんか!」と感じられる感覚をもつことが重要だ。